保育士から漁師に転職「圧倒的に気が楽」に。同僚も元警備員、介護職、シジミ研究員…
「漁師2.0」「鮮度が命・鮮度に命」。 御津フィッシャーマンズファクトリー(以下・M.F.F.)のWebサイトには、ポップな色合いとデザインを背景にキャッチーな言葉が並ぶ。 【全画像をみる】保育士から漁師に転職「圧倒的に気が楽」に。同僚も元警備員、介護職、シジミ研究員… 日本海に面した島根県松江市鹿島町御津(みつ)で活動するM.F.F.は、新しい漁師像を作るべく小笹伸一朗さんが立ち上げた会社だ。 小笹さんは新鮮で美味しい魚を届けるために、従来の漁のやり方を改革。漁獲量と売り上げを大幅にアップさせ、今ではその成果のコツを知りたいと各地から視察に訪れる人が後を絶たない。 そんな小笹さんの前職は保育士だ。なぜ、保育士から漁師という一見縁遠い職業へ転職したのか。
「辞める若手」にジェラシー
祖父も父も漁師という、松江市内の漁師一家で育った小笹さん。 ただ父親は漁で家にいないことが多く、家族を引き離してしまう漁業という仕事にいいイメージはなかったと話す。それゆえに、自身が漁師を志すことはなかった。 かわりに夢中になったのは野球だ。「何事もやり込む性格」だったという小笹さんは大学でも野球を続けるべく、両親を説得して野球が強い県外の大学へ進学した。 そこで保育士の資格を取得したのち、松江市内の社会福祉法人が運営するソフトボールの実業団チームに入団。保育士として働きながら、ソフトボール選手としても活動する毎日を送った。 保育士の仕事にはやりがいを感じていた。最初は敗戦続きだったソフトボールも、先頭に立ってチームの軌道修正を重ねた結果、勝利をつかむことが増えていた。 全てが順調にいっていたその頃、小笹さんはある現実に直面する。 「定置網(ていちあみ)漁という地元の産業が、どんどん衰退していることに気づきました。 あるとき、漁業をやっている父が定置網漁に若い男性を誘致したんです。『若い子が入ってきたから未来は明るいね』と皆で喜んでいたときに、その子が辞めてしまって。 『これからどうしようか』と憔悴しきっている父やほかの漁師たちを見たときに、すごくジェラシーを覚えたんです。『喜んでもらう存在になるべきなのは、自分たち地元の若者なのではないか?』って」 思えば、仕事や実業団での活動の忙しさを言い訳に、地域行事などへの参加がおろそかになっていた。住んでいる地域に何も貢献せず恩恵だけを受けているような生活。本当にこのままでいいのかと疑問がわいた。 これ以上、生まれ育った故郷の産業を衰退させたくない。その一心で、小笹さんは27歳で漁師へのシフトチェンジを決意した。