保育士から漁師に転職「圧倒的に気が楽」に。同僚も元警備員、介護職、シジミ研究員…
早朝3時間で終わる「楽な仕事」
漁師になることを告げると、父は心配しつつも喜んでくれた。幼い頃から見知った父の知人の漁師たちからも歓迎され、漁師としての生活が幕を開けた。 漁師というと、朝早くから漁に出たり重い網を引き上げたりと、ハードな仕事のイメージがある。しかし、漁は毎朝同じ時間に集合して同じ作業を繰り返すだけとルーチン化しており、漁師1年目の小笹さんは「楽な仕事」だと感じていたという。 体力的なしんどさはあるものの、早朝に3時間ほどの漁が終わればあとは自由で、やるべき仕事も特にない。一日中子どもたちの世話や雑務に追われていた保育士時代と比べれば、圧倒的に気が楽だった。 転機が訪れたのは、漁師生活が2年目に突入した頃のことだった。それまであまり気にしていなかった給与明細をふと見てみた。 当時の基本給は15万円。「こんなに少ないのか」と感じた。当時は実家に戻っていたものの、それでも生活していくにはやや苦しい金額だ。 なんとか収入を増やせないだろうか──。そこで目をつけたのが、定置網漁で余った魚や、ほかの人が獲らないマイナーな貝類だった。 通常、利益が出ない魚は漁で獲れても廃棄されてしまう。小笹さんはそれらの魚を引き取り、地元の居酒屋などに直接売ることにしたのだ。 加えて、高値で取引されているカサガイやカメノテという貝を自ら獲り、相場より安く売ることも始めた。 「営業は基本的に飛び込みで行きました。貝を持って行って『これってなんぼで仕入れてます? 僕だったらもっと安く出せますよ』って話して。 『じゃあ今度持ってきてよ』と言ってもらえて、少しずつ営業の成果が出てくるようになりました」 次第にお店の人と親しくなり、居酒屋の手伝いを依頼されたこともあった。朝は地元の定置網組合の漁に出て、昼から個人で漁をする。獲れた魚や貝を加工してお店に納品した後、そのまま店のホールにも立つという多忙な日々を送った。収入はかなり増えたという。 そんな折、小笹さんの認識を変える出来事が起こる。きっかけは、居酒屋に来たお客さんに言われた一言だった。 「僕が漁師をしていることをお客さんに話したんです。『何しとるんだ、定置網か』って訊かれて『そうです』って答えたら『島根県で1番怠けてる定置網じゃないか』って言われたんですよ。 そう言われた時に、すごくハッとして。イラッともしたんですけど、それよりも『やっぱりか』って思いました。今まで見て見ぬふりをしてきたけど、やっぱりそうなんだ、って。 ようやくそこで、他人から見ても自分の働いてるところの定置網がうまくいってないんだと初めて分かったんです」 今までの漁のやり方を変えなければ、自分たちに未来はない。 一番の問題は漁師の高齢化だった。所属する定置網組合では、2017年時点で30代以下は1名のみ。そこで小笹さんは所属するソフトボールのチームメイトなど、知り合いを次々と漁師にスカウトし始めた。 「まずは漁師の絶対数を増やさないと無理だと思いました。なので『漁師は儲かるよ、一緒にやらない?』っていろんな人に言って回って。そこから漫画の『ONE PIECE』みたいに、どんどん仲間が増えていきました」