英国が陥った袋小路、EU離脱問題の経緯を振り返る
難航したEUと英国との交渉
国民投票の結果を受けてキャメロン首相は辞任し、EUからの離脱交渉は同年7月、その座を引き継いだメイ首相によって行われることになりました。メイ首相は保守党の離脱派であるデービス議員を離脱担当相に、離脱運動を主導したジョンソン前ロンドン市長を外務相に、それぞれ起用。翌2017年3月には、EUからの離脱の手続きを定めたリスボン条約第50条に基づき、単一市場と関税同盟から離脱する方針をEUに通知したことで、2年間の交渉が始まりました。 そこで最も問題になったのが貿易でした。残留派は5億人の市場規模をもつEUから離れることが大きな経済的損失になると主張します。実際、EUの単一市場から完全に離脱する「ハード・ブレグジット」は損失が大きすぎるため、ほとんどの離脱派は多かれ少なかれ、移民の流入などを制限しながらも単一市場へのアクセスを確保する「ソフト・ブレグジット」を模索してきました。 EUと特別な関係を築く手段には、例えば「ノルウェー方式」があります。これはEUに加盟しないノルウェーが単一市場にアクセスできる取り決めを結んでいることを想定しています。ただし、この方式ではEUへの財政負担がゼロにはならないうえ、EUの意思決定に参加できないまま、EUの法令に従わなければなりません。そのため、離脱派からの評判はよくありません。 むしろ、多くの離脱派が推奨するのは「カナダ方式」です。カナダは多くの物品の通商に関税を設けない自由貿易協定をEUと結んでいます。ただし、カナダ方式ではイギリスに競争力のある金融などのサービス分野が十分カバーされていません。そこで、これらを加えたものを「カナダ・プラス方式」と呼びますが、デービス離脱担当相(当時)やジョンソン外相(当時)は、これにさらに農産物貿易の関税撤廃や規制の相互承認も加え、自由貿易の範囲をさらに広げるアイデアを提案しました。 ところが、こうした提案は、いわば「負担なしに利益だけ求めるもの」であるだけに、EUからすれば到底、受け入れられないものです。これまでEUから離脱した国はなく、イギリスに「タダ乗り」を認める形で離脱を許せば、反EU感情が渦巻く他の国からも離脱が相次ぎかねません。そのため、イギリスとEUの交渉は難航したのです。