英国が陥った袋小路、EU離脱問題の経緯を振り返る
イギリスの欧州連合(EU)からの離脱期限の4月12日を控え、EUは最長でさらに10月末まで期限を延長することを決めました。EU離脱をめぐって、イギリスはこれまでにない混乱に陥っています。この問題の経緯を振り返り、ヨーロッパだけでなく世界全体に影響を及ぼすとみられるこの問題の行方を考えます。(国際政治学者・六辻彰二)
EUへの不信根強く国民投票へ
イギリスでは2016年6月、EUからの離脱の賛否を問う国民投票が行われました。この国民投票は、なぜ行われたのでしょうか。 もともとイギリスでは、保守派を中心にEUへの不信感が根強くありました。その根底には、ドイツとフランスが主導するEUの規制が金融・財政政策だけでなく、環境規制など日常生活の隅々にまで浸透していたことがあります。 イギリスはヨーロッパでドイツに次ぐ経済規模を持ちますが、EUの前身、欧州共同体(EC)のオリジナルメンバーではなく、ヨーロッパ統合に後から参加した立場上、「自分たち以外による決定」への不満が出やすかったといえます。 これに拍車をかけたのが、リーマンショック(2008年)後に発生した、ギリシャを震源地とするヨーロッパ債務危機と、2011年に発生したシリア内戦で生まれた大量の難民でした。ヨーロッパ債務危機は、共通通貨ユーロの信用をも低下させたため、EUはギリシャ救済に乗り出さざるを得なくなりましたが、これは各国で「自国の税金を他国のために使う」ことへの不満を大きくしました。そのうえ、多くのシリア難民の流入は、EUの理念の一つである「移動の自由」への警戒感を強めたのです。 この背景のもと、イギリスの2015年総選挙でキャメロン首相(当時)率いる保守党は過半数の議席を獲得。「国家の独立」を求める声が大きくなるなか、保守党はマニフェストに「EUとの関係の見直し」を盛り込み、これが保守党よりさらに強硬に反EUを掲げる「イギリス独立党」や北アイルランドの地域政党「民主統一党」の支持をも取り付け、この勝利を後押ししました。 ただし、選挙勝利を受け、国民投票の実施を約束したキャメロン首相自身は離脱に反対し続け、閣僚の間でも賛否が分かれました。キャメロン首相にとっては、「離脱の是非を国民に問うこと」自体がいわば一種の選挙戦術だったといえます。 その結果として行われた国民投票では、大方の予想を覆してEU離脱への賛成が過半数を獲得。これがその後の混乱の幕開けとなりました。