Vol.22 藪 恵壹/タフなハートと緻密な分析【MLBの挑戦者たち~メジャーリーグに挑んだ全日本人選手の足跡】
ルーキーで9勝を挙げて新人王を獲得するなど、阪神タイガースの主力投手として活躍した藪 恵壹。本名は恵一だが、姓名判断により入団時に登録名を恵市とし、2年目からは恵壹に変更している。11年を過ごしたタイガースでは、2桁勝利が4度あったものの、2桁敗戦はそれを上回る6度。中村勝広監督から星野仙一監督に至るタイガースの暗黒期にあたり、なんとかチームを支え続けたのが藪だった。 タイガースが18年ぶりのリーグ優勝を果たした翌年の2004年、シーズン中に海外FA権を取得した藪は、オフにMLBへの挑戦を表明する。この時すでに36歳。先発投手のイメージが強い藪だが、実は先発起用はこの年が最後となった。 その後のアメリカでの状況を含めて、いろいろといわれることも多い藪のメジャー挑戦。だが、ベテランの域に入ってからのチャレンジは、紛れもなく称賛に値する。彼が渡米を決意したのは「日本とは何が違うんだろう、向こうには何があるんだろう、という興味」からだったという。アスリートの業とでもいうべきか。 ‘05年1月、オークランド・アスレチックスへの入団が決定。中継ぎとして40試合に登板し、4勝0敗1ホールド1セーブ、防御率4.50という成績を残した。それほど悪い内容ではなかったが、球団は2年目保有権のオプションを行使せず、シーズン後に自由契約となった。
翌年はコロラド・ロッキーズとマイナー契約するも、シーズンを前にして解雇。一時はメキシカンリーグに所属したが、’07年はついに無所属となってしまう。練習相手すら思うように見つからず、ネットや壁に向かって投球練習を行うこともあったという。実績十分なベテランとして、なかなかできることではない。 翌’08年、そんな藪に朗報が訪れた。サンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を締結。念願の開幕メジャー枠を勝ち取ると、4月14日には3年ぶりの勝利を記録した。39歳199日での勝利は、当時の日本人メジャーリーガー最年長記録だった。この年は60試合に登板し、3勝6敗9ホールド、防御率3.57。まるで不死鳥のように、メジャーのマウンドへの帰還を果たした。 実はこの年、野茂英雄、桑田真澄、高津臣吾といったアラフォー世代(全員、藪と同じ’68年生まれ)が、こぞってマイナー契約からメジャーに挑んでいる。そして結果的に、厳しいサバイバルを生き抜いたのは藪のみであった。彼の強みは精神的なタフさだが、それに加えて非常に研究熱心であり、相手打者を緻密に分析していたといわれている。もし彼が若くしてメジャーに挑んでいたら、また違う結果になったのかもしれない。