五輪のメダルは誰のため? 堀米雄斗が送り込んだ“新しい風”と、『ともに』が示す新しい価値
阿部詩に勝利後の沈黙と誤審疑惑
スケートボードだけが特別かと言えば、実はそうとも言い切れない。 メダル獲得が至上命題とされる日本の“お家芸”柔道では、パリ大会でもさまざまなドラマが生まれた。女子52キロ級で連覇を目指した阿部詩の敗退は大きな驚きを持って迎えられたが、2回戦で阿部詩を破り金メダルを獲得したディヨラ・ケルディヨロワ(ウズベキスタン)は、阿部に勝利した後もガッツポーズどころか喜びの表情さえ見せなかった。 理由を尋ねられたケルディヨロワは後に「彼女(阿部詩)を尊敬しているからあの場で喜びたくなかった」とコメントしている。この行動は「柔道の礼」を弁えたものであると同時に、4年に一度しか競技に触れない視聴者にはうかがい知ることのできない選手同士の関係性と連帯感をあらわしている。 誤審問題に揺れた男子60キロ級では、永山竜樹の対戦相手、フランシスコ・ガリゴス(スペイン)が日本ですっかりヒール扱いになってしまった。試合後すぐに東京大会の同級金メダリスト高藤直寿がSNSで「もう一つの疑惑」と話題になった2023年の世界選手権での誤審を否定し、ガリゴスとの普段の交流の様子やその人柄をアップ。当事者である永山も「誰がなんと言おうと私たちは柔道ファミリーです」とメッセージを発信し、SNS上でのガリゴスへの“口撃”を暗に止めた。 もちろん審判の質の向上やルールの明確化などは競技として取り組まなければいけない課題だ。しかし、日本人選手対外国人選手という図式にとらわれていては、同じ道を志す仲間として対戦相手をリスペクトする選手たちの思いを無にすることになる。 高藤や永山にガリゴスへの過剰な攻撃への火消しという意図はあったにしても、対戦相手である外国人選手は“敵”という第三者の見方は、国際大会などを通じて普段から向き合っている選手の実感からはほど遠い。
『ともに』が示すオリンピックの新しい価値
『Faster, Higher, Stronger(より速く、より高く、より強く)』 これはオリンピック憲章の第1章10項に定められ、オリンピックムーブメントのモットーとして長年掲げられてきたメッセージだ。 2021年に行われた東京大会からこのモットーに『-Together(ともに)』というフレーズが加わっている。 速さや高さ、強さ、勝利を目指すことで記録を高め、新たな可能性に挑戦し続けてきたアスリートたちは、何のために競技に打ち込むのか? 『Faster, Higher, Stronger - Together』 行き過ぎた商業化、歪んだ勝利至上主義、過剰なナショナリズムに疑義が呈され、オリンピックの価値が揺らいでいる現在、堀米や四十住、スケートボードファミリーたちが示した空気感や、多くの競技で見られた選手同士が『ともに』歩む連帯感こそが、新しい時代のオリンピックのアイデンティティになるのかもしれない。 <了>
文=大塚一樹