32歳の内田篤人はこれから何をする?引退セレモニーで「また会いましょう」とサポーターに伝えた言葉の真意
もう見られない常勝軍団のユニフォーム姿を、紺色と白のストライプ柄ネクタイがお洒落に映え、左胸には鹿島アントラーズのクラブカラー、ディープレッドのポケットチーフが顔をのぞかせる濃紺のスーツ姿に変えて、32歳で現役引退した内田篤人がパソコン画面の向こう側に姿を現した。 ラストマッチとなったガンバ大阪戦で、味方選手の負傷交代を受けて前半早々にスクランブル出場。魂を込めた現役最後のクロスで試合終了間際の同点ゴールを導いてから、一夜明けた24日にオンラインで行われた引退会見。美学を貫く形でシーズン途中に、14年8カ月におよんだプロのキャリアを終えた稀代の右サイドバックは、穏やかな表情で胸中に抱いている思いを明かした。 「正直、やっと終われるという気持ちの方が強いです。自分をセーブしながらプレーしてきたのは、変な話、試合に出るとか出ないとか、あるいは試合に勝つとか負けるとかよりも、自分のなかですごく辛いことだったので」 力をセーブさせる原因となり、アントラーズを助けられないと引退を決意させる直接の理由にもなった、2015年6月に手術を受けた右ひざはもう気にする必要はない。ガンバ戦のように何重ものテーピングで補強する必要もない。選手としてのサッカー人生に別れを告げたいま、ファン・サポーターがどうしても気になるのは、日本代表でも一時代を築いたレジェンドのセカンドキャリアとなる。 ガンバ戦後に県立カシマサッカースタジアムで行われた引退セレモニーを、内田は「また会いましょう」で締めくくっている。引退会見では短い言葉に込められた真意が問われている。 「一人のファンとしてカシマサッカースタジアムにまた来たいなと思っていましたし、サッカーの道で生きたいな、とも思っています。まあ、サッカーを辞めるだけですからね。多分、どっかで会うんじゃないかと思っています」 同じ静岡県出身のFW三浦知良に憧れて、生まれ育った町の少年団、函南SSSで始めたサッカーから離れることはないと、内田の脳裏にはおぼろげながら今後への青写真が描かれている。 「いろいろな選択肢があると思いますけど、ひとつ、ふたつに絞るのはまだ早いかなと思うので、いろいろな選択ができるように少しずつ仕事をチョイスするというか、どこにでも行けるような仕事を選んでいきたい。サッカーしかないというよりは、サッカー以外のことでやれる自信がないので、何かできればと思っています」 真っ先に思い浮かび、ファン・サポーターも望んでいるのが、指導者としてアントラーズに戻ってくる道となる。