「三億円事件」有力容疑者は“警察官の息子”とされるも…「やつはシロだ」と昭和の名刑事・平塚八兵衛が判断した根拠とは
「どうだ、またケンカしながら三億円をやろうよ」 今年で創立150年となった警視庁で、“昭和の名刑事”と呼ばれた平塚八兵衛氏(1913~1979)は、武藤三男・捜査第1課長(当時)からこう言われ、三億円事件の捜査本部に入ることになる。武藤課長が、捜1課長代理だったころ、吉展ちゃん事件でコンビを組んだ平塚氏は、見事、事件を解決させている。しかし、「柳の下にドジョウはいないよ」と即座に平塚氏は断り、二人は口論となる。そこで、武藤課長が囁いたのは「これはSに関する特命捜査だ」というものだった――(文中の引用は『週刊新潮』連載「八兵衛捕物帳」より。全3回の第2回)。 【写真で見る】昭和の名刑事・平塚八兵衛の在りし日の姿と、三億円事件の現場や遺留品など
事件発生
昭和43年12月10日、午前9時20分ごろ、東京都府中市にある東芝府中工場の従業員ボーナスである現金2億9134 万余円を積んだ、日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車が府中刑務所横にさしかかった時、後方から来た白バイ警官に扮した犯人が、運転席右側窓から顔をのぞかせ、こう言った。 「信託の方ですか? 巣鴨の自宅(支店長宅)が爆破されました。この車には爆弾が仕掛けられている。早く降りてください」 輸送車に乗っていた同行員4人が車を降りると、警官に扮した犯人は発煙筒をたき「爆発するぞ、逃げろ」などと言いながら、現金輸送車に乗り込み、逃走した。その後、犯人は国分寺跡で車を乗り換え、小金井市内の団地でジュラルミンのトランク3個に入っていた現金を全て抜き取り、逃走した。 当時としては最高額の被害金。しかも警官を装うという大胆な犯行手段……警視庁は府中署に設置した特別捜査本部に86人の捜査員を配置。そして発生から1週間後の12月16日には調布署に分室を作り、計135人に増員。さらに、同28日には小金井署にも分室を作り、最大で197人の専従捜査員を動員した。 平塚氏は当時、月島署に設置された殺人事件の捜査本部に詰めていた。事件の発生から年が明けて昭和44年4月24日、武藤捜査第1課長から直々の指名で、三億円事件特捜本部に加わることになるのだが、「どうだ、またケンカしながら」という武藤氏に対し、 〈これが私を三億円事件にひっぱり込んだときの彼の第一声だ。当時、私は月島で一つの事件を抱えていたし、他人がさんざん食い散らした事件を押しつけられるのも業腹なので、「柳の下にドジョウはいつもいないよ」と即座に断った。そこでまた口論となったが、最後に彼はこう言った。 「これはSについての特命捜査だ」〉