“奇跡の45歳”波乱万丈の人生。バツ3・シンママ・37歳でグラドルに。“遅咲き”のチャンスをつかむまで
産後直後で辛かった学校の授業。「母乳が出てしまったときも…」
吉本に所属するためには、養成学校に行く必要があり、吉本総合芸能学院 女性タレントコースに通うことになった。 しかし、学校へ入学する数日前に第二子を出産したばかりで、産後の体で授業を受けるのがものすごく辛かったと茜さんは吐露する。 「体が熱っぽく、だるさを感じたりと本当に座っているのも大変でしたね。体力はある方だったので、筋トレは得意だったんですが、産後は筋力がなくて腹筋・背筋の授業はかなりきつかったのを覚えています。 あとは母乳が出てきてしまって……。周りに見つからないように、トイレでこっそり搾乳をしていましたね。でも、トイレが一つしかなくて大渋滞したときは本当に焦りました」
夢を追い続けた日々「子育てに専念する気はなかった」
茜さんは20代で2度の結婚と離婚を経験し、同時に2人の子どもを授かっている。 22歳で1回目の結婚をしたが、24歳の時に離婚。2回目の結婚は26歳で、第一子を産んだものの、すぐに離婚することになる。 吉本の養成学校に入学する前、29歳だった茜さんは第二子の出産を迎えるが、「1ヶ月だけ付き合った男性と別れてから妊娠が発覚し、相手に内緒で出産した」と打ち明ける。 「子どもが生まれたことで、子育てに専念しようとかは全く思わなかったんですよ。子どもがいても、自分のやりたいことは諦めずにやりたかったので。とにかく後先考えずに、がむしゃらに目の前の事だけに向き合ってきたんです」 吉本の養成学校を卒業後、事務所に所属が決まったものの、なぜかタレントではなく“ものまねピン芸人”としてデビューすることになった茜さん。 「体を張ったネタで勝負していたのですが、自分のやりたいこととの相違が生まれてしまったことから、進路を変えるために総合芸能事務所に所属する道を選択する。 モデルやCM出演、役者、MCなど、色々な仕事を経験したが、それだけでは食べていけず、派遣やアルバイトも掛け持ちしながら芸能活動を続けた。
プライベートでは“バツ3”を経験。それでも新天地を求めて上京を決意
こうしたなか、茜さんは35歳の時に3度目の結婚を果たす。それも束の間、結婚生活も続かずに35歳で離婚してしまう。 「実はバイト先のテレアポで知り合った女性と10年間付き合ったこともあるんです。女性が好きとかではなかったんですが、魂から強烈に惹かれる不思議な感覚を味わって。それに比べ、男性とは長くても5年しか続いたことがなく、3人目と結婚した際にはプライベートで色々あって行き詰まってしまい、子どもと3人で家出を経験したんです。 その時は、近所のホテルを転々としながら、子どもが通う学校への送迎をしていましたね。いまだに子どもからは『あの頃は毎日いろんなホテルに泊まれて楽しかった』と言われるのはいい思い出です」 その後、出身地の大阪を離れ、子どもを連れて3人で上京を決意する。 「さまざまな仕事を経験し、常に新しいことに挑戦しつつ、学校で勉強に専念してきたことで、自分の中である程度の基礎力がついたと実感していました。このまま大阪にいてもこれ以上の成長はないと感じたのと、ちょうど子どもの進学でタイミングも良かったので、東京へ引越しすることを決めました」