中山美穂さんを14歳でスカウトした「恩師」が明かす“6畳生活”と“月給5万円”から国民的スターになるまで
女優で歌手の中山美穂さん(享年54)の葬儀が12月12日、都内の斎場で、家族と事務所関係者だけで執り行われた。その中には、美穂さんの所属事務所「ビッグアップル」の創業者・山中則男氏の姿もあった。山中氏は、美穂さんを原宿でスカウトし、トップスターにまで育て上げた“恩師”でもある。山中氏が葬儀の様子とその胸中をAERA dot.に語った。 【写真】別格の美しさ!24歳のときの中山美穂さんはこちら * * * 葬儀の喪主を務めたのは妹の中山忍さん(51)。遺影には、美穂さんのラストコンサート(12月1日)となった「ビルボード横浜」で歌う姿が飾られたという。山中則男氏は葬儀の様子をこう話す。 「喪主のあいさつをした忍ちゃんは、ペーパーを読み上げるのではなく、心を込めて自分の言葉で話していました。美穂をほうふつとさせるものを感じ、こちらが泣けてきました。忍ちゃんからは『山中さん、ありがとうございました。(山中さんとめぐり合えたことを)姉はすごく喜んでいました』と感謝の言葉をいただきました」 美穂さんは妹の忍さん、弟の3人きょうだいの中で育った。 「忍ちゃんは本当に気立てのいい子で、姉妹の仲も良かった。忍ちゃんは美穂よりも大人で、お姉さんっぽい感じでした。弟がまだ小さい頃、お母さんが働いていたものだから、忍ちゃんがおむつを替えて、一生懸命、家族を支えていたそうです。美穂はどちらかというと、忍ちゃんに頼っているような面がありましたね。美穂が芸能界で長続きできたのは、忍ちゃんという支えがあったからです」(山中氏) 葬儀が終わった後、忍さんはこうコメントを出した。 <姉は一生懸命な人でした。ちょっと頑固で、バカみたいに正直で、本当は傷付きやすい心を見せず、何があっても自分の責任だと、真っすぐ前を向く勇気がある人でした。自慢の姉でした> 中山さんは12月6日、東京・渋谷区の自宅の浴槽の中で亡くなっているのが発見された。当時の状況を山中氏はこう振り返る。 「私に事務所から連絡があったのは当日の正午過ぎでした。まだ『体調不良によるコンサート中止』という情報が流れる前でした。『亡くなったんです』と言うから、『本当か』と何度も聞き返しました。信じられなかったし、気が動転してしまっていました」(同)