“奇跡の45歳”波乱万丈の人生。バツ3・シンママ・37歳でグラドルに。“遅咲き”のチャンスをつかむまで
3度の離婚を経て、2人の子どもを育てながら、37歳でグラドルデビューした茜結さん(45歳)。現在は一般企業の広報、結婚相談所のカウンセラーとして働きつつ、“奇跡の45歳”のキャッチコピーで芸能活動を続けている……。 すでに情報量がとんでもないことになっているが、波瀾万丈の人生だったことは想像にかたくない。本人は「下積み時代が長かった」と話すが、今回は20歳から芸能活動を開始し、子育てと両立しながら37歳で花開くまでの“下積み時代”に迫る。 ⇒【写真】アザーカット
舞台役者から芸能活動をスタート
18歳から声優を目指そうと専門学校へ通い、20歳から芸能の仕事を主軸に置いてきた茜さん。 幼い頃から自分の声をカセットテープに録音して遊んでいたという茜さんは、もともと芸能志向が強かったという。声優になりたいと思ったきっかけは、友人から薦めてもらったアニメ作品に出ていた声優の魅力に惹かれたから。 そこから代々木アニメーション学院 大阪校へ通ったものの、卒業後には声優プロダクションへ入る試験を受ける必要があった。 声優プロダクションは東京に多く、「その時はまだ東京には行く気はなかった」と茜さんは言う。 そんななか、たまたま友達に誘われて観に行った芝居に感動したことで、舞台役者に興味を持ったのだった。 「今まで学校の演劇部の芝居しか観たことなかったんですが、友達と一緒に行った劇団『かっぱのドリームブラザーズ』のお芝居はすごく面白くて。その劇団は程なく解散してしまったんですが、そこで活動していた劇団員が客演で出ていたのが、のちに所属することになる劇団『リリパット・アーミー』のお芝居だったんです」
役者→音楽→モデル。次々と“路線変更”を繰り返す
1年間、研究生として下積みを経験し、オーディションを経て合格を果たし、舞台役者としてのキャリアをスタートさせる。 舞台の世界に初めて入り、充実した日々を送っていたそうだが、「色々と悩む年頃だったので、他にもやりたいことがたくさんあった」と茜さんは語る。 「舞台の幕間でかかる音楽がジャズのような曲がいいなと思って、漠然と音楽がやりたいと考え始めました。小さい頃から歌うことが好きだったのもあり、今度は音楽の学校に通い始めたんです」 大阪スクールオブミュージックに入り、音楽活動するための勉強に取り組んでいくうちに、バックコーラスなどの小さな仕事を担当するようになっていた。それでも、他にやりたいことが見つかり、いろんな情報を集めていくうちに書類審査に受かったモデル事務所に所属することに。 「モデルとして、色々な仕事をさせてもらえて楽しかったんですが、素人としてテレビに出る機会があり、テレビの世界が面白いと感じたんです。もっと大きな事務所に行けば、テレビの仕事もたくさん来るかもしれない。そう思って、たどり着いたのが“吉本”でした」