中居正広 声を詰まらせながら盟友を追悼 小林くんとクロキン「会いたくても会えない…寂しい」
タレントの中居正広(52)が14日、パーソナリティーを務めるニッポン放送「中居正広 ON&ON AIR」(土曜後11・00)に出演。今年亡くなった盟友を時折声を詰まらせながら追悼した。 【写真】1992年、森脇健児(後列左から2人目)、森口博子(同4人目)らと新曲「音松くん」を発表するSMAP(前列左から)森且行、稲垣吾郎、中居正広(後列左から)木村拓哉、香取慎吾、草彅剛 前週7日のエンディングで「来週はちょっと寂しい話をしよっかな」とあえて明るい声を出して予告していた中居。この日はオープニングの一曲に斉藤由貴の「悲しみよこんにちは」(1986年リリース)をオンエアすると、CM明けに「ちょっとなんか…寂しい話とか…話してたかな」と切り出し、「今年亡くなった人…ね。いっぱいいます…うん」と続けた。 そして、まずは6月に亡くなった落語家の桂ざこばさん(享年76)と9月に亡くなったタレント、ピーコさん(享年79)の名前を挙げ「もっと話したかった人」と20代で共演した大先輩を偲んだ。 さらに5月に亡くなった俳優の中尾彬さん(享年81)の名前も挙げたあとで「そのなかで…今年ね」とした中居。「複雑だな…あの。この番組のスタッフ…小林くん!!!」と万感の思いをこめて盟友の名前を叫んだ。 控えめで、でも楽しそうな小声でのやりとりが好評で、ファンにも長年おなじみだった「小林くん」。すでに一部で報道されていたものの、放送作家でディレクターの小林順さんの訃報について「今年2月にお亡くなりになりました」と初めて報告した。 中居によると、小林さんは3、4年前から体調を悪くしていたそうで「2年、3年前から収録にも来なくなってて。だから前にいるおじさん代わってたのよ。なんか言えなくてね」とし、小林さんの自宅にフルーツとパンと天むすを持ってお見舞いに行ったこともあったと明かした。 「コロナ禍だったから。(長居はできず)パって。写真も撮ったかな。コロナでなかなか会えなかった」。昨年末の収録には姿を見せてくれた小林さん。「年明け来れる?」と明るく声をかけたものの、今年最初の収録には来られず、2月に54歳の若さで亡くなった。 中居が21、22歳のころからラジオを担当してくれた小林さん。中居より3歳上で、お兄さんのようなマネジャーのような存在だった。だが、仕事のために韓国滞在中でお別れの会にも行くことができず。「うん………。寂しいねぇ………。寂しかったなぁ………。寂しい…うん。寂しかった………」と鼻をすすり上げ、声を詰まらせた。 そして、「それと同じような時期だった」。小林さん訃報の1週間後、追い打ちをかけるように届いたのが「SMAP×SMAP」のプロデューサーだった黒木彰一さん(享年54)の訃報だった。「フジテレビの黒木さんっていう…うん。僕ら“クロキン”って呼んでたの。なんでか知らないけど“クロキン”って…」。中居によると、黒木さんも2、3年前から体調を崩しており、ずっと入院していたという。 「この人は『スマスマ』のプロデューサーの人で。もうずっとかな…。『いいとも!』もやってて…うん。最後の最後までやってて………」と話すと、5秒間黙りこんだ中居。 「僕はこの人…そうだな。僕ね、お仕事はもちろんがっつりですよね。でね、僕、海外旅行ってプライベートで行くのって何回かしかないんだけども…」としてシンガポール、イタリアなど「ほとんど黒木さん来てんの。ほとんど全部。クロキンが来てんのよ…」とプライベートで海外旅行する時にはほとんど同行していたほど仲が良かったと明かした。 中居自身が体調不良で一時芸能活動を休止していた2022年秋には黒木さんも小林さんと同様に闘病中。「クロキンもあんまり人に言いたくないタイプだったのかな…うん。周りの人はあんまり知らなくて。僕もあんまり“実は…”みたいなことはあんまり話すようなタイプじゃなかったことを察したのか連絡もらって…。お互い言いたくないんですけど…。言いたくない同士ががっつり同じような時期に…だったので」。小林さんとも黒木さんとも「いまなにしているの?」というような連絡を取り合っていたという。 黒木さんからは「リーダー」と呼ばれていたという中居。「どっちが先に元気になれるかな」「元気になって退院したら思う存分好きな時に好きなタイミングで好きなものを好きな量食べれるような時期じゃなかったから。“元気になったら何を食べに行こうリスト”をお互いつくるのよ。これが楽しくて。僕もずっと一日何もやることがない。じーっとしていなきゃいけないから…」。 中居が「中華」「和食」「焼き肉」「寿司」「とんかつ」など料理のジャンル別に行きたい店を調べ、個室あるなし、予算などをノートに書き込み、「そんなの食べたくなってしょうがないんじゃないかって思うかもしれないけど…希望を持ちたいから。それを2人で出し合うみたいな…」とお互いの苦しい時間、楽しい時間を共有していたという。 「小林くんとクロキンはしょっちゅう会ってる人。パタっていなくなっちゃうからね…うん…」。 また、10月に38歳で亡くなったテレビ朝日・三上大樹アナウンサーも長年一緒に仕事をした間柄で「WBCとかプレミア(12)やってる時、僕がベンチ横にいる時、その横に必ず三上くんがいて…」と中居。「今回のプレミアも多分…実況やりたかったんじゃないのかなぁ…」と天国の三上アナに思いをはせた。 「寂しい話になるね。1年に1回ぐらいしかこんな話…。小林くんと黒木さんが54っていう年齢………なんですよ」と声を震わせ、「54って早いよね…って思うんだけど。病(やまい)って…うん…。年齢に関わらず襲いかかってくるので。僕いま52でしょ。あと1年、2年で僕54なので。再来年で…うん。本当にたまたまですけどね…54っていう。まして同じ時期に…ですから…。そうだね…」と言葉が続かない中居。 「会いたいよね…会いたいよね…」と2度繰り返すと、「会えないんだもんね…。会いたくても会えないっていうねぇ………。うん…。寂しい。もっと話したかったです」と結んだ。 そして、CM明けのエンディングでも再び「近い人が亡くなりましたって時ってみんなどうしてるんだろ」とポツリ。 「どうやって…こう…ねぇ。乗り越えてんのかなって。70、80(歳)だったらいいってわけじゃないですけど…。準備ができてない。こういうのってなかなか慣れないし…うん。受け入れてるんだけども。引っ張られるとずっとふざぎこんでしまうというか暗くなっちゃう、下降気味になってしまうというか。54っていう若さだったら…」「みんなで寂しいね、寂しいねって言えてるのが少し寂しさを紛らわせてくれるんじゃないのかなって思います」と話していた。