廃止から20年。都会に出現した鉄道廃線「東急東横線」地上線跡の「今」
横浜高速鉄道みなとみらい線(横浜-元町・中華街間)との直通運転開始にともない、東急東横線の横浜-桜木町間(約2.1km)が廃止されたのは2004年。同時に横浜駅が地下に移設され、東白楽-横浜間(約2.1km)の線路も地下化された。これにより沿線の風景が一変した。 あれから20年が経った今、東白楽-横浜間、横浜-桜木町間の線路跡は、どのようになっているのか。以下、『かながわ鉄道廃線紀行』(森川天喜著 2024年10月神奈川新聞社刊)の内容を一部抜粋し、都会に出現した鉄道廃線跡の活用例を見ていくことにしよう。 【画像】「新太田町駅跡」を示す案内板。博覧会開催中のわずかな期間のみ復活したので「幻の駅」とも言われる
◆横浜の都市部にも廃線跡が
最初に向かったのは東白楽駅。東横線の地上区間の最南端に位置する駅である。駅名になっている「白楽」という一風変わった地名は、この辺りに神奈川宿(東海道の宿場)の伯楽が多く住んでいたことに由来するという。 伯楽というのは馬喰(ばくろう 馬の治療や売買・仲買をする者)のこと。学生時代は気にも留めなかったが、地名というのは調べてみるとなかなか面白い。 東白楽の駅前を横切る県道12号線(横浜上麻生道路)上を、かつて横浜市電の六角橋線が走っていた。市電六角橋線が廃止になったのは1968(昭和43)年のこと。もはや大昔だ。この県道を渡った先に、東横線の地上線跡を活用して整備された「東横フラワー緑道」の入口がある。 緑道に足を踏み入れると、ちょっとしたせせらぎもあって、都会のオアシスといった感じだ。先へ進むと、まもなく前方に東横線が地下へと潜り込む開口部が見えてくる。黒くポッカリと開いた口へ何本もの電車が吸い込まれ、また吐き出されてくる。なんだか異世界への入口のようだ。 開口部に設けられた跨線(こせん)橋から先は、横浜方面へ向かって地下を走る東横線の真上に緑道が延々と続いている。緑道を歩いていると、時折、通気口を通じて地下を通過する電車の轟音(ごうおん)が聞こえてくる。 緑道を200mほど進むと、やや広めの道路と交差する。うっかりすると気づかずに通り過ぎてしまうが、実はこの場所は東横線の重要な史跡である。交差点の角のマンションの植栽に、駅の乗り場案内のプレートを模した「新太田町駅跡」と書かれた小さな案内板が設置されているのを探してみよう。