巨大ジャンクヤードで見つけた味わい深い廃車 40選 前編 一世風靡したクルマの終着点
AMCコンコード
1978年から1983年にかけて販売されたAMCコンコードは、ホーネットの後継車であり、後にルノー・アライアンス(ルノー9)にバトンを受け継いだ。同社のベストセラーモデルであり、40万台以上が生産された。この4ドア・セダンはDLで、中間グレードである。
ポンティアック・サンバード
初代(1976年~1980年)のポンティアック・サンバードは50万台近くが製造されたが、その大半はとうの昔にスクラップになっている。これだけの台数が一堂に会するのは本当に久しぶりだ。 GMのHボディ・プラットフォームをベースとしており、ポンティアックにとってはシボレー・モンツァへの対抗馬だった。
トライアンフTR7
ヤードの一画は何百台もの欧州車や日本車のために確保されているが、かなり雑草が生い茂り、カメラの視野を制限していた。トライアンフにとって米国市場は非常に重要で、TR7は本国英国に先駆けて1975年初頭に米国で発売された。 コンバーチブル版の登場は1979年になってからだが、ベバスト製サンルーフ付きモデルが用意されていた。隣に停まっているのはサーブ99。
フィアットX/19
トライアンフTR7がウェッジ・スタイルで批判を浴びたのに対し、同じデザインのフィアットX1/9はまったく批判されなかった。X1/9は1972年のトリノ・モーターショーでデビューし、市場投入された。 米国は巨大市場であり、1972年から1982年にかけて生産された16万台のうち3分の2を米国向けが占めた。写真のモデルはフューエルインジェクション仕様で、1980年か1981年のものである。
スバルXT
ウェッジシェイプといえば、スバルXT(アルシオーネ)も忘れてはいけない。1985年から1991年にかけて製造され、当時米国で最もエアロダイナミクスに優れたクルマだった。この流線型のデザインは、フラットなシリンダー配置を特徴とするスバルのボクサーエンジンによって実現された。インテリアも同様に先鋭的で、デジタルダッシュボードと、ステアリングコラムとともに動く計器盤が自慢だった。