上田誠仁コラム雲外蒼天/第48回「パリオリンピックに寄せて~信頼関係の大切さ~」
山梨学大の上田誠仁顧問による特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます! ********************** 2024パリオリンピックが華やかなスポーツの祭典を印象づけて開催された。 【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天/第47回「不測を楽しむくらいのメンタリティーを」 華の都パリを彷彿とさせる演出で、セーヌ川を舞台に繰り広げられた開会式。選手たちが通過する航路を「自由」・「平等」・「スポーツマンシップ」・「暗闇」・「連隊」・「シンクロシティー(共時性)」など12のブロックに分け、スポーツという文化が多様性の受け入れや優しさ、寛容さなどの役割を担いどのような影響があるのかを表現していた。 それを受け、今回のパリ大会は「Games Wide Open:広く開かれた大会」をテーマに17日間の熱闘が繰り広げられた。 すべての会場がアスリートや観客、テレビ視聴者にとって壮観で見応えのある舞台となり、時差と睡眠不足を感じさせぬほど熱戦を満喫させてもらった。 近代オリンピックの歴史は、さまざまな社会情勢の変節を乗り越え、その世代を担うアスリートたちの熱きパフォーマンスの舞台を提供し続けてきたこととして刻まれている。 思い起こせばコロナ禍で1年遅れの開催となった東京オリンピックとの対比がどうしても脳裏をよぎる。 スタンドを埋め尽くす大観衆の声援の中でプレーする選手と、無観客の静まり返ったスタジアムで死力を振り絞る選手に違いなどあるはずはない。そうであるならばあの国立競技場を埋め尽くす観衆の中でプレーさせてあげたかったと回顧したのは私だけではないだろう。 1年間の延期を経て開催された東京オリンピックでも、世の中はまだまだ有観客での開催ができぬほどの感染状況であった。単なる災難を乗り切ったオリンピックではなく、この運営ノウハウは今後のあらゆるリスクマネージメントの指標を提示することができた貴重な大会であったと確信している。 そのようにパリオリンピックの、選手の熱量を反映する、観衆の燃え上がるような声援を、ライブ中継で見守りつつしみじみ思った。 今となってはコロナ禍も、“喉元過ぎればなんとやら”の感が否めなくなっている。しかしながら、コロナ禍の感染症対策を乗り越え“New Normal”の時代を耐え忍んだ選手たちが、解き放たれたように盛夏の日本国内でも、全日本中学選手権や全国高校総体で熱闘を繰り広げられている。 そしてその延長線上に、今回女子やり投で金メダルを獲得した北口榛花さん(JAL)が満面の笑みと喜びを爆発させるように、オリンピックスタジアムで打ち鳴らした鐘の音がある。 コロナ禍で不自由な練習環境と大会の中止などで競技会にさえ出場の機会が与えられなかった全ての競技者に「苦難を乗り越えた先にこそこの喜びがあるんだ!」と励ますかのごとく響き渡った。