「これで、終わったと思った」巨人・梶谷隆幸(36歳)が引退で振り返る“気持ちが切れた”瞬間とは?…同期入団の親友に語った「坂本勇人からの言葉」
巨人の梶谷隆幸が、今季限りでの現役引退を発表した。2007年のベイスターズ入団以来、俊足好打の外野手として活躍し、2021年には巨人に移籍。度重なるケガを乗り越えながら、18年間のプロ生活を全うしてみせた。そんな梶谷とベイスターズの同期入団で、いまでも親交が深いという高森勇旗氏が記す名プレイヤーの素顔とは? 《全3回の2回目/つづきを読む》 【貴重写真】「打球がケージから出なかった…」2006年横浜入団直後のガリガリの梶谷&18年でフィジカルもムッキムキに…今年の引退表明時。開幕戦での超豪快なツーランホームランや横浜時代のハッスルプレーの懐かし写真も見る【30枚超】 2020年に横浜から巨人に移籍後、梶谷隆幸は腰や左膝のケガの影響で、2年以上に渡るリハビリ生活を余儀なくされていた。
長いリハビリ期間で見えてきたもの
体さえ治れば、また勝負ができる。それは、周囲を見返してやりたいという反骨の精神ではなく、長年かけて積み上げてきた経験であり、自信である。梶谷は、この世界で生きていくための”何か”を、確実に掴んでいた。それは、技術でもなく、メンタルでもない。練習に取り組む考え方だ。 「若い選手を見てると、練習に取り組むほんのわずかな部分に粗さがある。例えば、(坂本)勇人のバッティング練習なんて見ていると、本当に一球一球丁寧に打っている。『ちょっとそこから見ていて』と言われて、一球打つたびに、『俺はこういう感覚で打ちたいんだけど、そこからはどう見える? 』と、細かく、細かく確認してくる。 2400本以上もヒットを打っていても、あれだけ丁寧に練習している。なんとなく、ただ練習をしてはいけない。全て、意味があってやっている。そういう積み重ねが、試合で生きてくる」 リハビリ中に見えてくる若手の練習への取り組みは、むしろ梶谷にとって復帰後の自信を深めていく。ケガさえ治れば、必ず勝負になる。ただ回復を待つだけの単調な日々の中、体に刻み込まれたこの世界で生き抜くための”思考法“が、モチベーションをつなぐ唯一の支えだった。 左膝の手術からリハビリに励む2022年オフ、梶谷は年俸1億円を超える選手として初めての育成選手契約となる。背番号は005。FAで移籍し、1年半をほぼリハビリに費やし、ついに育成選手に。心中穏やかではないだろうが、意外にも梶谷は明るかった。 「徐々に体が動くようになって、バッティングを開始したら、やっぱり野球めちゃくちゃ楽しいなって。YouTubeでいろんなバッティング理論を勉強して、毎日それを試したくなって。試合に復帰したら、あれもこれも試してみたい。とにかく、毎日が楽しくてしょうがない」 腰、膝の手術を経て、長いリハビリが明け、ようやくグラウンドに放たれた梶谷は躍動した。それでも、膝の状態は日によって大きく変わった。全く痛くない日もあれば、歩けないほど痛い日もある。体は、自分ではコントロールできない状態だった。 「思い切り投げようと思っても、肩が思っているほど動いてくれない。自分が投げたボールを見ると、寂しい気持ちになるくらいボールに力がない。腰も、日によって状態が違うし、膝に至っては自分の膝じゃないものがついている感覚。それでも、この体でやっていくしかない。この可動域で、この筋肉の出力で、この違和感の中で、今できる最高のパフォーマンスを出すしかない。万全な状態でプレーすることは、もうない」
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