大崎博子 団地で1人で暮らし。母は91歳で見事に旅立った。Xフォロワー22万人、前夜の「おやすみなさいませ」の投稿を最後に
◆SNSは家族の安心材料にも 生後まもなく両親が離婚しましたが、私は叔父や叔母、いとこに囲まれ、母ひとり子ひとりといった寂しさを感じずに育ちました。 ただ、母は働きづめでしたね。叔母がやっていた喫茶店の手伝いや料理屋でのお運び、化粧品のセールスをしたあと、50歳からは結婚式場の衣装アドバイザーに。この仕事は70歳まで続けていました。 私は会社に就職したものの、ほんの1年くらいのつもりでイギリスへの留学を決めました。それが、気づくと32年もそのまま暮らすことに(笑)。自分でも想像もしなかった人生になりました。 イギリスで結婚し、子どもが生まれると、母はしょっちゅうイギリスにきて、子育てを手伝ってくれました。母の世代は今よりずっとシングルマザーが少なかったし、働きながら私を育てるのは大変だったと思います。一緒に暮らしていたころは無自覚でしたが、自分が3人の子を持ってみて、やっと母の苦労に気づきました。 母の人生が劇的に変わったのは、仕事をやめたあと、78歳でパソコンと出合ってからだと思います。まだLINEの無料通話もないころで、国際電話の料金がバカにならなかった。パソコンがあれば無料で通話できるので、Macのパソコンを買うこと、サービスで通えるアップルストアのパソコン講座に行くことを勧めたのです。 パソコンが使いこなせるようになると、私のアドバイスでツイッターもはじめました。当たり前のことですが、当初のフォロワー数は数えるほどで、「あまり面白くない」と言っていました。 そんなときに起きたのが、東日本大震災です。何日も電話が繋がらず、安否が気になっていたので、ツイッターで母と連絡が取れたときはホッとしたことを覚えています。 フォロワーが一気に増えたのは、原発事故に対する考えを投稿したことがきっかけでした。戦争を知る者として、その体験を発信することも大切に考えていました。 一方で、団地でひとりで暮らす高齢者としての日常が注目され、本まで出ることに。私は毎日の母の投稿で「こんなものを食べているのね」「今日はこんなことをしているのね」と知ることができ、安否確認にもなっていました。 SNSは母の生活の張りでもあり、友人の輪を広げる道具でもあり、家族の安心材料でもあった。勧めてよかった、と思っています。
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