「3歳娘の“あちゅい”が耳にこびりついている」…東名女児2人死亡事故 両親の25年
(2000年当時の会見にて)郁美さん「奏子や周子のこれから70年80年って生きられたであろう命の重さに比べて懲役4年というのはあまりに軽いんじゃないか」 (当時を振り返って)郁美さん「私たちの娘たちは戻ろうとしても戻れないんだから、なぜそれが加害者の情状酌量の理由になってしまうのか、全く理解できない。本当に絶望的な気持ちになってしまいました」
駅前で署名活動を行う郁美さん「どんなに悪質な事故、飲酒運転、無免許運転、無車検の車に乗って起こした事故でも、車による事故であれば、何人殺しても最高5年までしか認められません。この最高刑があまりにも低すぎるのではないかと我々は疑問に思っています。どうか皆さま、ご賛同いただける方には署名への協力をお願いいたします」 (当時を振り返って)内藤弁護士「正直なところ井上さんたちのご活動によって『法定刑が変わるか』というぐらいの感じは持っていました。しかしながら、“過失犯”を“故意犯”という概念に変えるまでの改正がなされるということは当時は全く考えていませんでした」 2001年、井上さん夫妻は法務大臣に署名を提出した。
2001年3月24日、事故車が公開された。 (車を触りながら)郁美さん「これはアンパンマンのタオルとか…意外とこういうのが残ってるんですよね。ひとつひとつを見るにつけ、酔っ払いの運転手の無謀な行為に対して今までの中で一番、私は怒ってます」 保孝さん「飲酒運転は犯罪である。悪質な交通事犯に対してはもっと厳罰を、という訴えを今後も続けていかなきゃいけないと」
2001年、井上夫妻は国会にも足を運ぶ。 (参院法務委員会にて)郁美さん「私たちは今回の法改正がまず第一歩だと思っています。やはり量刑の問題については引き続き法務省や警察庁、それから国会の先生方とともに改正していただけないかと、これからも継続的に協力をお願いしたいと思っています」 そして、2001年11月28日、飲酒運転や著しい高速度運転などの悪質かつ危険な運転行為により人を死傷させたものに対する罰則は強化された。 (当時を振り返って)保孝さん「その日が、奏子・周子が私たちのもとから旅立った日だったものですから、これは二人が自分たちのことをいつまでもいつまでも覚えておいてほしいという、精いっぱいの自己主張をしている、そういうことなのかなと」 (法改正を経て当時の)郁美さん「もはや軽い気持ちで危険な運転をしているドライバイーさんたちにそういう運転は続けさせない。1日も早く今やってる人はやめてほしいと思います」 「危険運転致死傷罪」(創設時):アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で四輪以上の自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は十年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで四輪以上の自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。 (当時を振り返って)郁美さん「私たちの中ではやっぱりせっかく作ってもらった危険運転致死傷罪がちゃんと使われているか、ということも、見守り続ける必要があるだろうと思っていたところ、やっぱりいろいろと問題が出てきてしまった。飲酒ひき逃げが急増してしまってその背景には飲酒運転をして、そのままそこで現行犯で逮捕されてしまったら、危険運転致死傷罪ですごい厳しい罰が適用されちゃうかもしれないから『やばい、逃げちゃおう』と」