「わかっているだけで6人が死亡」《鳥取連続不審死事件》上田美由紀が亡くなる前に匂わせた「ある支援者=東京の父親」の存在
2つの連続不審死事件の犯人として死刑をくだされ、2023年に収容先の広島拘置所で死亡した上田美由紀死刑囚。亡くなる前に彼女が没頭した「ある趣味」とは? そして彼女を支える「謎の支援者」とは? ノンフィクションライターの高木瑞穂氏の新刊『 殺人の追憶 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む) 2022年に死去…《鳥取連続不審死事件》上田美由紀の人生を変えた「ある男」 ◆◆◆
松江刑務所での面会
アクリル板の向こう側に、静かに腰を下ろした身長146センチの小柄な女性は、少しの沈黙のあと、「私は、強い女ではないので」と前置きし、こう吐露した。 「無の状態というか、判決日が思ったより早かったので、パニックになりました。正直、自分の気持ちをどう表現したらいいのか分からないんです」 2009年に発覚した「鳥取連続不審死事件」の被告・上田美由紀(当時43歳)は、島根・松江刑務所で私に、判決前の心境をそう明かした。2017年6月のことである。2件の強盗殺人罪などに問われていた上田美由紀は、このときまさに最高裁で争っていた。 事件の発端は、鳥取県警が2009年の11月、上田美由紀と同棲中の元自動車セールスマンの男(当時49歳)を、軽自動車などをだまし取った詐欺容疑で逮捕したことにさかのぼる。さらなる疑惑が浮上したのは、その取り調べのなかでのことだった。複数の男性を相手に嘘をついて金銭を貢がせていたことにとどまらず、上田美由紀のまわりでは交際相手や知人男性が次々不審死を遂げていたのだ。 わかっているだけで6人が亡くなっていた。ぎょっとする数字である。2004年、読売新聞の記者(当時42歳)が列車にひかれて死亡。2007年、警備員(当時27代)が日本海で溺死。 2008年、鳥取県警の刑事(当時41歳)が首を吊り死亡。2009年、上田美由紀と同じアパートの住人が急死。ただ、証拠不十分で、この4人はそれぞれ自殺や事故死、病死で処理されている――。 上田美由紀は残る2人の事件で裁かれていた。2009年4月に鳥取県北栄町沿いの日本海で遺体が発見されたトラック運転手の矢部和実さん(当時47歳)と、同年10月に鳥取市内の摩尼川で遺体が発見された電気工事業の圓山秀樹(当時57歳)さんだ。2人とも水死だった。 この2つの連続不審死事件で、2人と接点があった上田美由紀は、いずれも睡眠導入剤を飲ませて水死させたとして強盗殺人容疑で再逮捕、起訴された。しかし詐欺容疑については罪を認めたが、強盗殺人については否定。直接証拠がないなか、一貫して無罪を主張してきた。 2012年、一審の鳥取地裁は上田美由紀に死刑判決を言い渡した。上田美由紀はこれを不服として控訴したが、二審・広島高裁は訴えを棄却。上田美由紀は最高裁に上告の身だった。 そして2017年7月27日、最高裁は「第一審・控訴審の判決は正当」として上告を棄却し、死刑判決が下された。 私が面会を重ねたのは、その判決の約2ヶ月前からのことだった。 ――事件のことを考えることは? 面会室。何度も同じ問いをしたが、いつも淡々とこう繰り返した。
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