全国一のインバウンド増加率 訪日客急増する「ワンピース」の聖地
阿蘇や熊本城など人気の観光地で知られる熊本で、定番のスポット以外を目当てにした訪日外国人観光客(インバウンド)が急増している。背景を探ると、あの「一味」の存在が浮かび上がる。11人目の「仲間」として、今日も海を越えて多くの「海賊」が訪れる。 【写真で見る】ルフィ、チョッパー、ゾロ…熊本県内にあるワンピースの像 ◇世界中に熱心なファン 熊本県宇土市の住吉海岸公園。島原湾を挟んで遠く雲仙・普賢岳を望む景観が魅力だが、全国的な知名度は決して高くはない。 そんな公園に米国から訪れたオードリー・ウィジャヤさん(38)は、スマートフォンを片手に満面の笑みを浮かべ、同行した夫(38)や長女(7)よりも先に走り出した。 ウィジャヤさんが向かった先で迎えるのは、黄金色に輝く1体の銅像。人気漫画「ONE PIECE(ワンピース)」に登場するキャラクター「ジンベエ」だ。高さ1・8メートルのジンベエ像は杯を掲げながらあぐらをかいた、豪胆なポーズが印象的だ。 ワンピースは、主人公のモンキー・D・ルフィが固い絆で結ばれた仲間たち「麦わらの一味」と海賊王を目指し、世界中の海を冒険する物語だ。1997年に週刊少年ジャンプで連載が始まり、単行本は既刊で110巻。現在も連載中でアニメ化や映画化もされ、世界中に熱心なファンがいることでも知られる。 ◇熊本地震の復興を後押し 一味の熊本上陸は、2016年4月の熊本地震がきっかけだった。作者の尾田栄一郎さんが熊本市出身という縁で、地震からの復興を後押ししようと県と集英社の協力による「熊本復興プロジェクト」の一環として、県内に一味の銅像が設置されることになった。 県庁に18年、設置された「ルフィ」像を皮切りに、4年間で県内10カ所に計10体が登場。それぞれのキャラクターが船医や音楽家など特技や個性を生かし、被害の甚大だった地域で困りごとを解決するというストーリーが用意されている。そこには「子どもたちに一番に笑ってほしい! そしたら大人は頑張れるんだ!」という尾田さん自身の思いが反映されている。 住吉海岸公園で出会ったウィジャヤさん一家も「キャラやストーリーが大好き」という大のワンピースファン。県内各地を3日間かけて回り、ジンベエ像の訪問が最後だった。 ◇インバウンド増加率 全国一に 実はウィジャヤさんのように、県内の一味に会いに行く「巡礼」がインバウンドの人気を集めている。 経路検索などのアプリを手がける「ナビタイムジャパン」(東京)によると、23年度に各都道府県を訪れたインバウンドの数を新型コロナウイルス禍前の19年度と比較した伸び率は、熊本が2・14倍と全国トップに。アプリを利用するインバウンドのデータを基に分析したもので、2位は福岡(2・06倍)、3位は山形(2・00倍)だった。 熊本県内でも特に伸び率が高かったのは、宇土市(7・33倍)▽益城町(6・75倍)▽高森町(4・25倍)――など熊本地震の被害が大きかった地域が目立つ。最大震度7を観測した益城町では甚大な人的・物的な被害があったほか、宇土市は鉄筋コンクリート5階建ての旧市庁舎の4階部分がつぶれるなどした。 そんな被災地を中心に建てられていったのが、一味の像だった。ジンベエ像のある宇土市のほか、益城町はコックの「サンジ」、高森町には船大工の「フランキー」と一味の像が生き生きとした姿を見せている。 いずれの地域も、観光地としての知名度はそれほど高くなかった。分析結果を受け、ナビタイムジャパンは一味の像について「複数の箇所への周遊につながっている」と分析。実際、一味を巡るため熊本市内から住吉海岸公園まで台湾からの観光客4人を乗せてきたというタクシー運転手(60)によると、他にも「阿蘇方面の像を巡りたい」と欧米系の男性客を乗せたこともあったという。 宇土市では22年7月にジンベエ像が設置されて以降、観光客が大幅に増加。ジンベエ像のある住吉海岸公園の来訪者は年15万人程度だったが、24年は9月末時点で21万人を超えた。特に8月は1カ月で3万5208人に上った。 市の担当者は「効果は大きい」とする一方、アサリやハマグリ漁の車の通行路や駐車スペースに観光客が入り込むなど、課題もみられるようになったという。市では大型観光バスが駐車できるスペースの整備など対策も進める方針だ。 熊本の観光復興をも支える一味の活躍。木村敬知事は「大きな力を感じている。関係者の理解を得ながら、これからもより強く推進していきたい」と語った。 ◇人気ゆえトラブル招く地域も 熊本での「ワンピース」のように、漫画やアニメのキャラクターなどで被災地の復興を後押しする取り組みは各地で進んでいる。一方、人気がありすぎる故に「聖地」で思わぬトラブルを招く事態も見られる。 「住民にとって、良い影響かどうかという視点で見ることが大事だ」。漫画やアニメなどと連携した被災地復興の取り組みについて、災害社会学が専門の茨城大特別研究員、李旉昕(りふしん)さんが指摘する。 茨城県大洗町では2011年の東日本大震災後、観光客が激減し、福島第1原発事故の放射能の風評被害に苦しんだ。ところが、12年に同町を舞台にしたアニメ「ガールズ&パンツァー」が放映されるとファンが訪れるようになり、コロナ禍ではクラウドファンディングによる支援もあった。 李さんは「長引く『復興疲れ』の中で、アニメが新たな刺激を与える転換点になった。住民の視野を広げ、アニメが共通意識となって連帯感を生み、まちづくりにつながった」とみる。 一方、漫画やアニメに登場するキャラクターや舞台を巡る「聖地巡礼」によるオーバーツーリズム(観光公害)といった弊害も生まれている。近年では、人気漫画「スラムダンク」の「聖地」として、神奈川県鎌倉市の江ノ島電鉄の駅に多くの観光客が押し寄せる事態が社会問題となった。 法政大の青木貞茂教授(ブランド論)は「(漫画などのキャラクターを通じて)地域への親しみが湧き、心理的な距離が縮まり、その地域を『自分ごと』にする力がある。それが被災地であれば支援につながる」と語る。その上で「条例での規制や環境整備など、行政側がオーバーツーリズムへの対策もセットで準備することが重要だ」と指摘した。【山口桂子】