仕事ゼロでも解散せず30年、ボキャブラ芸人BOOMERのいま #昭和98年
役者、アイドルユニット、トリオ…紆余曲折のキャリア
二人が出会ったのは10代のころ。所属していた劇団ひまわりで1984年に路上パフォーマンスユニット「時代錯誤」を結成した。 河田:別に俳優志望というわけでもなくて、ミーハー感覚で仲間内で寸劇みたいなことをやってたんですよ。それがたまたまレコード会社の社長の目に留まって。当時、一世風靡セピアが出てきて路上パフォーマンスブームが始まってたころで、とんとん拍子で話が進んでいきました。 シングル2枚とLP1枚をリリースしたものの、メンバーの脱退が相次ぎ1987年に解散。残ったお笑い好き3人でトリオ「AKIKO」を組んだ。結成3年目でNHK新人演芸大賞優秀賞を獲得するが、次第に頭打ちとなり関係にもヒビが生じる。 河田:若い感性で突っ走れるのは一瞬で、やっぱりウケなくなってくるんですよね。そうなると誰のせいだとなって、河田が悪い、伊勢の台本が悪いとかなったりして。一回自分が外れて作家的な役割になったんです。それで3人で話し合いをしているときに伊勢が突然やめるって言いだして。コンビになって今まで俺が言われてたことが伊勢に行くようになっちゃってたんですよね。 伊勢:ネタをつまんないって言われるのがキツかったですね。自分では面白いと思ってずっと考えたものなので。 河田:向こうからしたら正論ではあるんでしょうけどね。それでも最終的に継続は無理だなという結論になってしまいました。
1992年にAKIKOが解散した後、河田は別の劇団で芝居をはじめた。しばらくして伊勢が加わると自然とコントのような掛け合いが生まれていった。 伊勢:小規模な劇団が集まるライブに二人で出て、すごいウケたんですよ。もしかするとやっていけるかもしれないなって思いました。 来日外国人初の三冠王となった元プロ野球選手のブーマー・ウェルズにあやかり、コンビ名をBOOMERとし、野球のユニホームシャツを身にまとった。28歳のことだった。 1996年にボキャブラの第3シリーズ『タモリの超ボキャブラ天国』から声がかかり、ついたキャッチコピーは「遅れてきたルーキー」。同世代のダウンタウンやウッチャンナンチャンはすでに20代で絶大な人気を獲得していた。30歳で遅咲きと言われた時代だ。チャンスをつかんだものの序盤は不調の立ち上がりだった。 河田:全然ハマれなくて、オンエアされても7位とか8位。しまいには作家の用意したネタをやらされることにもなって。他のコント番組ではのびのびとできてたんですけど。 勢いのある20代の若手がしのぎを削る中、破竹の勢いを誇ったのはBOOMERと同世代の爆笑問題だった。