仕事ゼロでも解散せず30年、ボキャブラ芸人BOOMERのいま #昭和98年
河田:正直やめようかってときもあったんですけど、爆笑(問題)や金谷(ヒデユキ)の頑張りを見て、自分も負けたくないという思いが湧いてきましたね。そこからネタをどうすればいいかを伊勢と話し合うようになりました。 伊勢のコミカルで変質的なキャラクターをネタに盛り込むと、河田のキレのあるツッコミとの相乗効果が高まった。ヒットネタを量産し、一躍人気者となったBOOMERには次々と仕事が舞い込むようになった。テレビの仕事に加え、土日には地方営業にも赴き、休みのない日々。しかし、河田は焦りを感じていた。
「ここまでなくなるんだ」番組終了で仕事がゼロに
爆笑問題やネプチューンは、ボキャブラを足がかりに自身の冠番組を持つなど飛躍を遂げる一方、BOOMERはボキャブラ芸人のイメージから脱却しきれずにいた。 河田:ブームは長くは続かないだろうなと思ってはいたんですけど、次の展開を探しあぐねてました。 伊勢:ボキャブラの名前だけで手当たり次第に仕事を受けてたので、『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングのオファーがきても断らざるをえないこともありました。 1999年、第8シリーズの『歌うボキャブラ天国』の終了とともに露出は激減し、やがて仕事はゼロになった。 河田:1年ぐらいですかね、本当に仕事がなくなって。ここまでなくなるんだって思いました。 伊勢:アリとキリギリスじゃないですけど、知らない間にタカくくってたのかな。 そうした中で、一度解散の話が持ち上がったこともあった。 河田:今後どうしようか? っていう相談の延長上の話ですけど、このままやってても……とよぎって解散した方がいいのかなと思ったりしてましたね。 伊勢:トリオのときに一回解散しているんで、その苦労がわかってますから。解散するにしても慎重でしたね。
結論の出ないまま活動は続いた。それでもかつてのアルバイト先だったショーパブや、お笑い養成所の講師など、エンタメ業界に携わりながらアルバイトを続けられたことは僥倖だった。 河田:アイドル時代のメンバーは今、介護の会社のお偉いさんとか工具の販売事業とかされてて。当たり前ですけどみんなおじさんになって一瞬誰だかわからない人もいるんですよ。 もし別の業種に活路を見いだしていたら芸人の顔は失われていたかもしれない。今も芸人の顔つきを残す二人を見ている者もいる。 伊勢:ありがたいことに1 年に 1 回は取材くるんですよね。ボキャブラもそうですし、ピコ太郎がブレークしたときや、錦鯉みたいな遅咲きの芸人が注目を浴びるタイミングだったりで。