「もう復興したんだよ、いまは元気です」――ラジオとももクロに救われた「少女」の物語 #これから私は
震災から10年、こころさんはラジオやイベントでも、震災の当事者としてその経験を語ってきた。しかし、震災を伝えたいという気持ちは実は強くはないという。 「震災伝承の活動は、自分もつらくなるし、あんまり向いてないなとは思うんです。ただ、自分だから発信していけることもあるのかなと思いつつやってますね。震災が起こったときの記憶が、悲しくも、だんだん薄れていってるので、うまく伝えられなくてつらいっていうのもあります。そのときの感覚、感情、思いを、いま、大人になった自分が言葉にしようとしても、それは正しくなくて、ちょっと色がついちゃうと思うときもあるんです」 震災から10年が経ち、12歳の小学生だったこころさんは、22歳の大学生となった。本人は「元気がない」と冗談めかすが、落ち着いた口調は、彼女が大人になったことを物語る。 「私たちは被災者ではあったし、町もなくなっちゃったし、生活も変わっちゃったけれど、ここで生活してるんだよ、ここでこれからも生きていくんだよ、っていうのを伝えたいですね。もう復興したんだよ、いまは元気ですって。町内には、まだ立ち直れない人もいると思うし、私も親戚が震災で亡くなってつらいときもあるんです。それでも私たちはここで生きていくし、頑張って生きてるんだよ、って。被災者をすべて悲しいものだと思わないでほしいっていうのもあります。テレビを見てると、どうしても被災者は、家族を亡くして悲しい、っていう話ばかりだし、そういう一面だけが映ってしまうんですけど……難しいですね。それでも私たちはここで生きてます、って」
大学を卒業しても女川町にいたいかと聞くと、「もちろんです」と即答した。夢は子どもたちの居場所をつくることだ。 「私が学校が苦手だったっていう経験もあって。子どもって、家庭と学校がすべてじゃないですか。だから、その逃げ場所、第3の子どもの拠点をつくりたいんですよ。『学校にも家庭にもいづらかったら、こっちに遊びに来な』っていう場所をつくりたいんです」 かつてのこころさんは、自分を知る人の少ない女川町が好きだった。しかし、知り合いが増えたいまも、生きづらくはないという。復興後の女川町は、彼女にとって「居場所」になった。 「いまはちょっとだけ考え方が変わって、『あの人がいるから生きたい、あの人に会いたいから生きたい』という考えのほうが増えてきましたね。震災が起きて、時間も置いて、今はもう20歳も過ぎて、自分はちょっと成長したのかなっていう気持ちです」 そんなこころさんも、いつか好きな相手ができて、女川町を離れる日が来るのだろうか。そう聞くと、「町内とかで、なんかいい人いないかな」と笑うのだ。 「女川から離れることは想像するんですけど、離れたとしても、石巻どまり。やっぱり女川とは関わり続けていたいし、県外に行くなんて考えられない。女川町にいるから私は伸び伸び過ごせてるし、私でいられるんです」
--- 阿部こころ(あべ・こころ) 1998年宮城県石巻市生まれ。2008年に石巻市から女川町に移住。2011年の東日本大震災により石巻市に戻り避難生活を送る。2015年におながわさいがいエフエムに高校生パーソナリティーとして参加。閉局後も、一般社団法人オナガワエフエムのパーソナリティーとして「佐藤敏郎のOnagawa Now! 大人のたまり場」(東北放送TBCラジオ)に出演中。