「もう復興したんだよ、いまは元気です」――ラジオとももクロに救われた「少女」の物語 #これから私は
ももクロは、おながわさいがいエフエムに何度も出演。こころさんとも交流を深め、ももクロの「お友達」として、「モノノフ」と呼ばれるももクロファンの間でも名前が知られていった。 「ももクロちゃんが女川に来るときは、『じゃあ私も、もうちょっと勉強頑張ろう』とか『エフエムで立派に話せるように頑張ろう』とか、意識しました。救われましたね」
女川町にいるから私でいられる
おながわさいがいエフエムは2016年3月に閉局した。 「女川の人たちのためになりたいって私が入ってから1年も経たないうちに閉局しちゃうのは、これから私ができることってあるのかなって、自信がなくなっちゃいましたね」 しかし、こころさんはその後も、おながわさいがいエフエムから放送局を移して続く番組「佐藤敏郎のOnagawa Now! 大人のたまり場」(東北放送TBCラジオ)に出演中だ。4月からは同局の「元気です。女川~復幸RADIO~」にも出演する。おながわさいがいエフエムに関わる前には、高校でも不登校になったものの、4年かけて卒業。当初は石巻市の大学に通学していたが、現在は通信制の大学に転入し、経営や図書館司書の勉強をしている。 「200人、300人といる教室で授業を受けるのが、なんとなく苦痛だったんですよ。息苦しいし、ざわざわした雑音で、ちょっと苦しくなるし。でも、勉強したい気持ちはあったので、通信に行ったんです」 女川町は官民一体となって急速な復興を遂げ、こころさんが女川町に戻った2015年には、津波で流された女川駅が復活。駅前のプロムナードも整備されていた。女川町の復興の早さの理由は、「60代以上は口を出さず、50代は口を出しても手を出さない」という住民の方針で、若い世代に任せてきたところも大きい。こころさんも含め、自分たちの世代が将来的に女川町を継ぐという意識は強い。 「いまだって、政治はおじいちゃんで回ってるじゃないですか。だから、女川町から若い人たちが町づくりをしていくフェーズに変わるんだ、それはすごいいいことだと思ってたんです」