横浜DeNA大和に聞く「阪神攻略法をナインに聞かれたらどう答えますか?」
「できなくて当たり前くらいの気持ちでやっていた。左は初めてなんですから。その、できなくて当たり前という考え方が、自分にはまっていた」 非常に客観的な自己評価である。 「打てるわけない」で打席に入り、結果が出たら「ラッキー!」と思い、「もう1本打てたらいいな!」の繰り返しだという。 そう。ポジティブではない。 そこを突っ込むと、大和はニヤっと笑った。 「めちゃくちゃネガティブですね」 つられて、こちらも笑う。 「エラーしたらどうしよう、打てなければ、どうしよう。いつも不安だけを抱えてゲームをやっています」 ポジティブになろうと心がけたこともあったのでは? 「そうすると、できなかったときのショックが大きいんです。だから僕は常に“エラーしたら”、“打てなかったら”という“たら”からのスタートなんです。一番下に設定しておけば、それ以上、下がることがない。ショックがありません」 “苦労の人”野村克也氏が似たような哲学を語っていたことを思い出す。 生え抜きの大和が阪神を出る ── 。それは阪神ファンに衝撃を与えた。おそらく相当の決断だったことも容易に想像がつく。 横浜DeNAと、ドロドロの沼のような甲子園のグラウンドで戦った昨年のクライマックスシリーズ・ファーストステージ。その第3戦に「7番・ショート」で先発出場した大和は、最初の打席で併殺に倒れると、投手交代のところで、わずか3回でベンチに下げられた。 必要とされていない……筆者は、あの交代が大和に何かを決断させたように思えてならなかった。 直球で聞いてみた。 あの試合がFA決断につながったのではないですか? 「うーん」と言葉を詰まらせ、大和が答えた。 「FA権が取れた。もしかしたら、これが最後になるのではないかとの思いを持った。複雑な思いでグラウンドを見つめたことを覚えています」 あのとき惜別の思いを持った試合の対戦チームでプレーすることになるとは思いもよらなかっただろう。