甘いマスクと勇猛果敢なファイトで女性ファンを魅了…テリー・ファンクが「日本人に最も愛されたレスラー」になった“流血の一戦”
そのスピリッツは永遠に
さて、私たち日本のプロレスファンを最も沸かした外国人レスラーは誰か? 朝日新聞の週末版beが2015年5月2日に掲載した「記憶に残る昭和の外国人レスラー」には、興味深いランキングが掲載されている。1位から5位までを挙げてみよう。 【1位】694票。なんと、アブドーラ・ザ・ブッチャー。「黒い呪術師」の異名を奉られた「最凶」のヒール(悪玉)。 【2位】670票。懐かしのザ・デストロイヤー(1930~2019)。足4の字固めが必殺技の「白覆面の魔王」。1963年に初来日し、力道山と対戦。テレビのバラエティー番組でも人気者になる。 【3位】411票。納得のスタン・ハンセン(74)。テンガロンハットをかぶり、ブルロープを振りまわすカウボーイスタイルで入場。「不沈艦」と恐れられ、必殺技はウエスタン・ラリアットだ。 【4位】364票。伝説のルー・テーズ(1916~2002)。「鉄人」とたたえられ、「20世紀最強」と語りつがれる伝説のレスラー。30代の全盛期、引き分けを挟んで936連勝を達成した。 【5位】327票。本欄にも登場したアンドレ・ザ・ジャイアント(1946~1993)。かつてテレビ中継で、実況アナの古舘伊知郎(69)が「ひとり民族大移動!!」と絶叫した大巨人。223センチ。46歳で急死 しかし、テリー・ファンクはシャープ兄弟に続いて12位。意外な数字をどう分析していいか、私には分からない。 ところで、兄でPWF会長のドリー・ファンク・ジュニアは、弟の死に対して下記のようなコメントをSNSで発表した。 「弟のテリーがこの世を去りました。言葉になりません。長年、テリーと私のザ・ファンクスを応援してくださった、たくさんの日本のプロレスファンの皆様、ありがとうございました。心より感謝を申し上げます。テリーに代わり深く御礼を申し上げます。もう一度、ザ・ファンクスとして来日したかったです。forever、ザ・ファンクスは永遠です。テリーは皆様の心の中で生き続けます。テリーは永遠です」 やんちゃな弟への深い愛情が偲ばれるコメントと言えるだろう。「forever! forever!」とリング上で叫び続けたテリーの姿は、まさに「テキサスの荒馬」の異名にふさわしかった。晩年は認知症との闘いでつらいことも多かっただろうが、弱々しい姿を見せることは決してなかった。「俺は諦めない。復活するんだ」と周囲に話していたという。 私も末期がんとの厳しい闘病生活が続き、ときに弱音を吐いてしまうが、テリーの生き方を支えにしていきたい。ファンの夢を壊さなかったテリーに感謝! やっぱり、プロレスっていい。 次回は漫画家・矢口高雄(1939~2020)。「釣りキチ三平」「マタギ列伝」「幻の怪蛇バチヘビ」……。ふるさと秋田の自然と人々の暮らしにこだわった。こまやかな情景描写と物語を展開する構成力はどのようにして生まれたのか。 小泉信一(こいずみ・しんいち) 朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴36年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)、『絶滅危惧種記者 群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。 デイリー新潮編集部
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