母は小さく手を振った…1945年8月9日長崎、16歳の「わたくし95歳」母との最後の朝
日本時間12月10日午後9時、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の2024年ノーベル平和賞授賞式が開催される。 【画像】1945年8月9日、長崎で被爆した森田富美子さんと当時の様子 広島・長崎に原子爆弾が投下されて79年、悲願というにはあまりに長い時間を要し、そして、核の脅威は今も続き、むしろ高まっている状況ともいえる。 10月11日、X(旧Twitter)にこんなポストがされた。 お風呂に入っていると、娘が大声で「速報が出た!日本被団協がノーベル平和賞受賞!!」と飛び込んで来た。涙が出るほど嬉しい。私が平和賞を貰ったような感動。 #核兵器禁止条約 #核廃絶 #戦争反対 2024年10月11日「わたくし95歳」(@Iam90yearsold) この歓喜のつぶやきをアップしたのは、現在95歳の森田富美子さんだ。 富美子さんは長崎に生まれ、1945年8月9日、16歳のときに長崎に投下された原子爆弾によって、両親と3人の弟を失った。あまりにつらいそのときの経験について長い間話さず過ごしてきたが、富美子さんは2020年8月10日から「91歳になるまで声をあげなかった自分が情けない」と自分の心だけにしまってきた長崎での出来事を「わたくし91歳」というアカウント名でTwitterにツイートするようになった。 それから4年、アカウント名は年齢を重ねるごとに変化し、今は「わたくし95歳」に変わったが、毎日、自らの被爆体験や政治のこと、日々の出来事について楽しいことも、怒りも、ときに厳しく、でもユニークなマインドも忘れずに、富美子さん自身がアップしている。そんな富美子さんのXには現在約8.5万人ものフォロワーがいる。 真珠湾攻撃から83年、広島・長崎の原子爆弾投下、終戦から79年……戦争の記憶を語れる方の存在はとても貴重であり、今を生きる私たちにとっても忘れてはいけない、知るべき記憶でもある。 そんな富美子さんの生き様を綴った書籍『わたくし96歳「#戦争反対」 75年以上封印していた「戦争」「原爆」を語り始めた理由』(森田富美子・森田京子 親子共著)が戦後80年となる2025年6月2日に発刊されることが決定した。ちなみに富美子さんは誕生月の6月に毎年アカウント名の「わたくし〇歳」の年齢を変更しており、2025年には96歳になる。今回は現在制作中の本書原稿から、富美子さん自身が体験した長崎・原子爆弾の記憶、「1945年8月9日ーわたくし16歳」から抜粋して前後編でお届けする。