日本近代化の礎となった山口「萩の世界遺産」を巡り、明治維新の胎動を感じる
(3)萩反射炉
残り3つの世界遺産は、いずれも西洋式の軍備を整えるために長州藩が設置した史跡だ。 松陰神社から北へ1キロほどの椿東(ちんとう)にある萩反射炉は、西洋式の鉄製大砲を鋳造するため、1856(安政3)年に試作炉として建造された。隣国・清(元・中国)がアヘン戦争に敗北し、黒船来航もあり、海防意識が高まった時期だ。 試作はうまくいかず、大砲の鋳造に至らぬまま、長州藩は本格的な反射炉建造を断念。それでも、西洋化へ向けた試行錯誤を伝える貴重な遺構として世界遺産に登録された。
(4)恵美須ヶ鼻造船所跡
同じく1856年に椿東の沿岸部に建設されたのが、西洋式帆船を建造するための恵美須ヶ鼻造船所。同年には、海軍の練習や輸送船として用いられた丙辰(へいしん)丸が無事に進水した。1860年に完成した庚申(こうしん)丸は、下関戦争で米国海軍に撃沈されるも、修復して幕府軍の長州征伐を迎え撃った。 丙辰丸はロシア海軍、庚申丸はオランダ式の造船技術を導入したという。唯一残る幕末の造船所であり、2カ国の技術が集結する希少性が評価され、世界遺産に加わった。
(5)大板山たたら製鉄遺跡
丙辰丸を建造する際、くぎやいかりなどに利用した鉄を生産したのが大板山たたら製鉄。城下町から車で40分ほど、紫福地区の山道を抜けた先にある。 伝統的な「たたら製鉄」は、木炭を用いて砂鉄を燃焼させる技法。大量の木を伐採するので、十数年稼働すると山林が育つまで50年ほど休ませるため、長州藩内には数カ所の製鉄所があり、順繰りに稼働させていた。 軍艦製造時に操業していたのが、大板山の製鉄所だった。西洋技術を実現するため、日本の伝統技術を応用したことを伝える貴重な遺跡である。
萩の世界遺産を巡ると感じるのが、長州藩士や職人らの持っていた学識や技術の高さと、それを生かした実行力だ。 まさに松陰が体現した「思想と実践の一体化」である。その遺志を伊藤博文らがしっかりと引き継いだことで、この小さな町が明治日本の近代化に大きく貢献したのだろう。 取材・文・写真=ニッポンドットコム編集部