謎の古代文明タルテッソスはなぜ突然消えたのか、未解読の文字も、2700年前に西欧で最盛期
考古学的証拠が示す文化の融合
フェニキア人の植民者とイベリア半島の先住民との接触は、陶工、金細工師、鍛冶屋、建設業者、港湾労働者、船乗りなどの仕事を生み出し、目覚ましい経済発展のきっかけとなった。海上貿易がこの社会の特徴だ。 海上貿易は労働集約的で、木を伐採し、船を建造し、商品を運ぶためのアンフォラ(2つの持ち手のついた壺)などの容器を作るために、多くの労働者が関わった。 このような変化は、フェニキア人との新たな関係で利益を得るようになったタルテッソスのコミュニティと、新たな経済資源の支配を求める内陸部の他の先住民コミュニティとの間に緊張を生み出した可能性がある。 タルテッソス文化では、新たな社会集団が出現し、はるかに複雑な社会組織が生まれた。この社会は約400年続いたが、エリートがどのように支配を維持したのかは明らかになっていない。タルテッソスの遺跡や墓のどちらからも、多くの武器は見つかっていない。 タルテッソスにはいくつかの注目すべき文化的な特徴があったが、均質な社会ではなく、統一王国、ましてや帝国とみなすべきではない。 ヘロドトスは、アルガントニオスが支配する王国について言及しているが、それはギリシャ人がタルテッソスと呼んでいた地域の長のことだ。他にも王や指導者がいたはずで、各支配者は相互に経済的な利害関係があったにもかかわらず、政治的な独立を維持していた。 この社会構造は、階層的というよりも並列構造的で、様々な指導者や権力のネットワークを含んでいた。 先住民とフェニキア人の結婚は、両コミュニティの統合を強固なものにした。この慣習は、アリセダとタラベリヤ(ともにカセレス県)の宝物や、トレドのカサ・デル・カルピオの墓など、タルテッソスの中心地から遠く離れた内陸部で発見されたものの説明となるかもしれない。 これらの遺跡で発見された豊富な宝物の多くは、現地の工房で、フェニキア人の金細工技術を学んだ職人によって作られたものだった。作品にはフェニキア人の宗教のモチーフが多く含まれており、エル神、バアル神、アスタルテ神が表現されている。 スペインのエストレマドゥーラ州とタホ川流域では、カディス県エル・プエルト・デ・サンタ・マリアのラス・クンブレスといったタルテッソスの中心地の墓地で、先住民とフェニキア人の両方の要素を備えた嫁入り衣装が発見されている。 最近、グアディアナ川のそばの墳丘の下から日干しレンガの巨大な建造物が発見され、タルテッソスの文化と建築がフェニキア人の影響を受けていたことを示す新たな証拠が得られた。 それは、紀元前5世紀後半まで使用されていたバダホス県グアレーニャのカサス・デル・トゥルニュエロ遺跡だ。西地中海地域で最も保存状態の良い先史時代の建物があり、宴会場には青銅器が備えられていた。 現在進行中の発掘調査により、この構造物が紀元前8世紀にフェニキア人の植民者との交流から生まれた初期のタルテッソス文化の特徴をもつことが確認されている。タルテッソス文化は、これまで考えられていたよりもはるかに深く、広く痕跡を残している。 紀元前7世紀の繁栄期を経て、タルテッソスは衰退の一途をたどった。つい最近まで、考古学者はタルテッソス文化が紀元前6世紀に突然終わりを迎えたと考えていた。 しかし、グアディアナ川流域での最新の発見は、タルテッソスの中心地で衰退期を迎えた後、文化自体は内陸部のいくつかの地域に広がり続けたことを示している。タルテッソスの調査は、新たな発見によって青銅器時代のこの文化の謎を明らかにしながら続けられている。
文=Sebastián Celestino Pérez/訳=杉元拓斗