歴代Jチェアマンを振り返ると浮かび上がる村井満の異端。「伏線めいた」川淵三郎との出会い
難局から逃げないことが信条。「ほとんど即答でしたね」
以上、「伏線めいたこと」を振り返ったところで、11月27日の江知勝に話を戻す。再び、当時の村井のメモから(文中の「チェアマン」とは大東のことである)。 《チェアマンご自身、任期4年で退任するつもりであること。若返りを図るべく、村井に後任を託したい旨、述べられた。私自身、サッカー選手でもなくクラブ経験もないことを伝えたが、チェアマンは企業経営の経験と若さを語られた。自信があるわけではないが、難局から逃げないことが信条であることを伝え、了解の意思を伝えた。》 当人いわく「ほとんど即答でしたね」。そして、こう続ける。 「大東さんからの打診を受けるのか、それともお断りするのか。私の判断基準は、ただひとつ。この村井にチェアマンを引き継ぎたいと、大東さんが本心から思っているのか――。これだけでした。本意ではない形でチェアマン職を譲ろうとしていたら、私ははっきり断るつもりでした」 一方で「川淵さんから推挙があっての、この場ではないか」との考えを、村井は捨てきれなかったという。しかし、確証はない。結局、大東と中野の前で、初代チェアマンの名を口にすることはなかった。 その後のメモには《酒を入れて、大いに燗酒を飲んだ。全部で20本近く飲んだ。》とあり、3人は大いに酔っ払った。しかし、酒で顔を赤らめながらも、村井は大東の観察を続けていた。それは、人事とガバナンスのプロフェッショナルとしての、死ぬまで捨て切れぬ習性であった。 (本記事は集英社インターナショナル刊の書籍『異端のチェアマン』より一部転載) <了>
[PROFILE] 村井満(むらい・みつる) 1959年生まれ、埼玉県出身。日本リクルートセンターに入社後、執行役員、リクルートエイブリック(後にリクルートエージェントに名称変更)代表取締役社長、香港法人社長を経て2013年退任。日本プロサッカーリーグ理事を経て2014年より第5代Jリーグチェアマンに就任。4期8年にわたりチェアマンを務め、2022年3月退任。2023年6月より日本バドミントン協会会長。 [PROFILE] 宇都宮徹壱(うつのみや・てついち) 1966年生まれ、東京都出身。写真家・ノンフィクションライター。東京藝術大学大学院美術研究科を修了後、TV制作会社勤務を経て1997年にフリーランスに。国内外で「文化としてのフットボール」を追い続け、各スポーツメディアに寄稿。2010年に著書『フットボールの犬』(東邦出版)で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、2017年に『サッカーおくのほそ道』(カンゼン)でサッカー本大賞2017を受賞。個人メディア『宇都宮徹壱ウェブマガジン』、オンラインコミュニティ『ハフコミ』主催。
文=宇都宮徹壱