歴代Jチェアマンを振り返ると浮かび上がる村井満の異端。「伏線めいた」川淵三郎との出会い
スタジアムの大型ビジョンに森保一監督が映し出されて…
表彰式終了後、日産スタジアムのバックスタンドには、Jクラブのマスコット 52体が勢揃い。紅組と白組に分かれての、マスコット大運動会が行われた。 スーパーカップでは、全国のJクラブからマスコットが集結して、ファンに向けたグリーティングや撮影会を行うことが風物詩となっていた。しかし前回の2021年大会は、感染対策のために中止。この年は2年ぶりに、マスコット大集合が実現したのである。 マスコットたちが繰り広げる、何とも牧歌的な茶番劇を撮影していると、不意にJリーグの理事たちの姿が視界に入ってきた。副理事長の原博実、専務理事の木村正明、常勤理事の佐伯夕利子、そしてチェアマンの村井。 いわゆる「チームMURAI」の面々である。 村井と理事たちは、観客の視界を遮らないように身をかがめながら、スマートフォンでマスコットたちを撮影していた。それぞれの表情からは、コロナ禍の危機を乗り越え、無事に任期を終えることへの深い安堵感が見て取れる。 「マスコットたちが退出して、スタンドのお客さんも全員が帰路について、後片付けが終わった時ですよ。これで解散だね、なんて言っていた時に突然、スタジアムの大型ビジョンに日本代表の森保一監督が映し出されて『村井チェアマン、8年間お疲れさまでした』って。それはJリーグの職員が準備していた、サプライズのビデオメッセージだったんですね。そんなこともあったので、あの日は忘れ難がたい一日となりました」 以上が、1万8558人もの観客の前で、Jリーグチェアマンとしての最後の務めを果たした、村井満の回想である。
歴代チェアマンを振り返ると浮かび上がってくる事実
村井のJリーグチェアマンの在任期間は、2014年1月31日から2022年3月15日まで。チェアマンの任期は1期2年なので、4期8年だったことになる。サッカーの世界での、8年は長い。この間に日本代表監督は5人替わった。 ここであらためて、歴代チェアマンを列挙してみよう(カッコ内は任期)。 ・第1代 川淵三郎(1991~2002年)1936年生 ・第2代 鈴木昌(2002~06年)1935年生 ・第3代 鬼武健二(2006~10年)1939年生 ・第4代 大東和美(2010~14年)1948年生 ・第5代 村井満(2014~22年)1959年生 ・第6代 野々村芳和(2022年~)1972年生 このリストから、いくつか興味深い事実が浮かび上がってくる。まず、任期。11年続いた初代チェアマンの川淵を除けば、村井の8年は最長である(最長4期8年のルールは村井が作ったものだ)。 次に、チェアマン就任時の年齢を見てみよう。川淵は54歳、鈴木と鬼武は66歳、大東は61歳、そして村井は54歳。現チェアマンの野々村が、49歳で「最年少」と話題になったが、60代での就任が常態化していたことを思えば、川淵と村井の54歳は目を引く。もっとも、1991年と2014年とでは、同じ54歳でも社会的な見方はまったく異なる。川淵が就任した当時、一般的に54歳は「定年間近」という印象だった。 生年についても注目したい。川淵、鈴木、鬼武の3代は、いずれも1930年代生まれ。いわゆる「焼け跡世代」である。第4代の大東で、ようやく初の戦後生まれのチェアマンが誕生。村井の1959年という生年は、当時としては新鮮なものに感じられた。