歴代Jチェアマンを振り返ると浮かび上がる村井満の異端。「伏線めいた」川淵三郎との出会い
ビジネスの世界で成功した上で、Jリーグのトップの地位へ
また、任期や就任時の年齢以上に、村井の異端ぶりを感じさせるのが、その出自。 村井を除く歴代チェアマンは、Jクラブの社長経験者、もしくは日本サッカー界に功績を残した人物に限られていた。鈴木と大東は鹿島アントラーズ、鬼武はセレッソ大阪、野々村は北海道コンサドーレ札幌で、それぞれ社長や会長を務めた。川淵はクラブ経営の経験こそなかったものの、日本代表と古河電工サッカー部で選手と監督の経験を持つ。それに対して、村井のサッカー経験は高校時代で終わっている。Jリーグ社外理事を6年務めていたものの、サッカー界ではまったく無名の存在であった。 その一方で、ビジネス界における村井のキャリアは、実に眩いばかりである。早稲田大学法学部を卒業後、1983年より日本リクルートセンター(現・リクルート)入社。2000年の同社執行役員就任を経て、04年にリクルートエイブリック(社名をリクルートエージェントに変更後、現・リクルートに統合)代表取締役社長に就任。さらに2011年には、リクルート・グローバル・ファミリー香港法人(RGF HR Agent Hong Kong Limited)社長、13年には同社会長に就任。 確かに、鹿島運輸社長(鈴木)やヤンマーマリナックス社長(鬼武)、住友金属工業九州支社長(大東)といったキャリアを持つ元チェアマンもいた。だが、時価総額8兆円の大企業で執行役員となり、前職がグローバル企業の会長となると、話は違ってくる。 そもそもビジネスの世界で頂点を極めた人間が、サッカーの世界に転身することは、かなりのレアケース。むしろ初代チェアマンの川淵のように、ビジネスの世界に限界を感じ、サッカーの世界へ飛び込んだ例のほうが多いくらいだ。 多くのサッカー関係者は、村井の出自が「業界外」であることを理由に、彼を異端視している。だが私の捉え方は違う。村井は、ビジネスの世界で成功した上で、Jリーグのトップの地位を担うことになった、初めてのケース。それゆえの「異端のチェアマン」なのである。