一つの頂点はハイエース? いいクルマとは何だ
アクセルの高精細さが重要
走る機械として良いかどうか、と先ほど書いた。まずそこから考えていきたい。クルマについて考えるときその中心となるのは間違いなくドライバーだ。クルマはいつでもドライバーが思ったように動かせることが大前提だ。しかし、すべてのクルマにそれができるかと言えば全然そんなことはない。そんな基礎的なことができていないクルマはたくさんある。 例えば、アクセルを踏んでほんの少しだけクルマを動かしたいのにそれができない。渋滞で前のクルマが動き出した時、アイドリングのクリープだけではちょっと足りない場合がある。そんな時クリープより少しだけ速度をあげたい。じわっとペダルを踏んだ時、ドライバーの思い通りの速度が出せるかどうか、それが問題だ。ダメなクルマはそういう時に思ったより強い加速をしてしまい、慌ててブレーキに踏み換えねばならない。 日常使いの中で、操作をする度に緊張を強いられ、疲労が溜まる。確かに神経を集中して丁寧に操作すれば、そういうセッティングのクルマでもじんわり加速ができないわけではないが、100回やって100回成功するかと言えば難しいだろう。ドライバーに「美しく運転したい」という気持ちがなければ「走る、曲がる、止まる」がどんなに唐突でも気にならないだろうが、エレガントな加速度変化を求めようとすれば、野蛮なアクセルを抑え込む戦いを続けるしかない。たかが発進ごときに何で毎度真剣勝負をしなければならないのだろう。 永遠の戦いのストレスに我慢ができなくなると、ヤケを起こして運転が乱暴になる。細心の注意を払って丁寧に運転しても数回に一度は失敗が起きるなら、最初から丁寧に運転するのをやめようという気持ちが働くのだ。集中力を削がれて気持ちが荒んだこういう状態がドライバーにとって安全なはずはない。不必要な加速は燃料も無駄だし、交通の流れがギクシャクして渋滞を悪化させる。 アクセルペダルは、ドライバーとクルマのインターフェイスとして「速度をコントロールする」役割のものだ。だから最小加速度でじんわりと加速することと、そのクルマに与えられた性能の範囲で最大加速する間のどこでもドライバーの思う通りに簡単に調整できなくてはいけない。エンジンのパワーを上げて加速能力を上げることはダイナミックレンジを広げることだが、いくらダイナミックレンジが広がっても、精細度が落ちては意味がない。 オーディオで言えば、ちょっとボリュームを操作しただけで急に必要以上に大きな音になってしまうのと同じ。「どれだけ大きな音が出るか」よりそのコントロール性の方が重要なのはクルマでも同じだ。