サウサンプトン移籍が決まった菅原由勢が明かす“一大分岐点のルーツ”。「衝撃が一番スゴかったのは…柏戦で0対20とか」【独占取材】
突如、グランパスから「うちに来ませんか?」と連絡が来た
小学生のころ、よく足を運んだのはジュビロ磐田の試合だった。 「名古屋グランパスの試合に行くのも、ジュビロ磐田の試合に行くのも、豊川からあまり変わらないんです。親の世代はジュビロの黄金期だったじゃないですか。だから家族はジュビロファン。お爺ちゃんがサッカー好きだったし、友だちに誘われていくこともあった。初めて行ったのは2007年、エコパスタジアムのジュビロ磐田対鹿島アントラーズ。お爺ちゃんに連れて行ってもらいました。小笠原満男さん、野沢拓也さん、内田篤人さん、マルキーニョスとかがいたアントラーズはとても強かった。僕はジュビロのファンクラブに入っていました」 「ゴリさん(元アンダー世代日本代表監督の森山佳郎。現ベガルタ仙台監督)もそうですが、宮沢さんが僕のサッカーの基盤を作ってくれました」と菅原はしみじみと言う。彼から一番学んだものとは? 「いや、分かんないです。なんか言葉じゃ言い表せない。ボールを一緒に蹴り続けてきたんで。ただ それだけですよ。喋りもしましたけど、話した内容よりも、『サッカーを楽しみなさい』と言われていたので、ボールを蹴って蹴って蹴っての繰り返しが僕と宮沢さんのコミュニケーションだった」 草サッカーチームだったラランジャ豊川は、菅原が小4か小5のときにサッカー協会に登録して公式戦に出始めた。 「それまでは練習試合だけでしたが、とても強かったので登録すると初年度から東三河地区大会の決勝で大勝して愛知県大会に進んだ。『ラランジャって聞いたことがなかったけれど強いじゃん』と名が売れて、いい選手が集まって、僕のひとつ下はジュニアユースの県大会決勝でグランパスと延長戦まで戦った」 小5で愛知県選抜に入った菅原は、自分より上手い選手を見て「彼がグランパスのジュニアユースに行くんだろうなぁ。俺はジュビロに行こう」とセレクションの申込書を提出した。しかし突如、グランパスから「うちに来ませんか?」と連絡が来た。 「後から知ったんですが、本命だった子がグランパスに進まず、それで2番手の僕に話が回ってきたんです。僕はグランパスの強さを知っていて、到底届かぬレベルの高さを感じていました。だけど『自分がプロになるために』ということを考えるとグランパスは2010年にJ1で優勝した。杉森考起くん(現徳島ヴォルティス)とか森晃太くん(現福島ユナイテッドFC)がいた世代はジュニアで日本一になったし、育成に強いイメージがあった。それで『プロになれる確率の高いのはグランパスなんじゃないか』という選択をして、名古屋グランパスのジュニアユースに進みました」 代田中学まで母が迎えに来て、菅原を車で豊川稲荷駅まで送る。乗り換えの知立駅まで50分。そこから豊田市駅まで25分かけて夕方5時45分に着く。グランパスの練習開始は6時だった。 「『ヤバい、練習に遅れる!』って汗だくになって走ってグラウンドに行っていたので、いつも準備することなく練習に参加していました。でもサッカーするのが楽しかったから、真冬の寒い日も、夏の暑い日も『今日も練習だ!』と思いながらワクワクして電車に乗っていました。一番大変だったのは帰り。夜11時くらいに豊川稲荷駅に着いて、母の車で家に帰る。だけど両親も仕事をしているから寝ないといけない。だから自分で洗濯して干して、1時くらいまで寝ることができませんでした」 毎日、グラウンドまで送り迎えしてもらうチームメイトを見て、羨ましいと思ったことはあった。しかし、菅原のように遠くから通っている選手のほうがハングリーだったことにも気付いていた。 「僕らはどこに生まれてどう育つかは選べないじゃないですか。しかし、どう周りを見て、感じて、どういう情報を得て、どういう考え方をするのかは自由ですよね。だから、言い方は悪いけど『ハングリー精神のない、現状に満足しているような選手たちに絶対に負けない。絶対負けねぇ。絶対プロになってやる。絶対一番になってやる』って、車に乗って練習場に来る仲間たちを毎回見て思っていました。『夜中に洗濯して寝る環境のほうが、俺はタフになって這い上がれる』と思ってね」
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