コロナ危機で離島の焼酎蔵が結束 「東京島酒」を世界へ広げ始めた3代目
東京都八丈町の八丈興発は、代表銘柄「情け嶋」など年間8万本を製造する焼酎メーカーです。3代目の小宮山善友さん(49)は、焼酎ブーム最盛期の2006年に家業入り。当時からブームの終息を見込み、地酒専門店への販路開拓や新商品開発を進め、売り上げを維持しました。コロナ禍で一時、島内の売り上げが消滅しますが、地理的表示(GI)保護制度の指定を目指して島しょ部の酒蔵との連携を深め、2024年3月に自社を含む焼酎が「東京島酒」として国税庁から指定されました。小宮山さんはGI指定を追い風に、輸出戦略を本格化させようとしています。 【写真特集】みそ・しょうゆ業界をリードする後継ぎたち
焼酎ブームの風に乗って
古くから焼酎造りが盛んな八丈島には、現在四つの蔵があります。八丈興発は1947年に創業した最も新しい蔵で、5人の従業員を抱えています。 小宮山さんの祖父・善之助さんが、島の産物を発掘して販売するのを目的に創業。当初は焼酎造りのほか、海産物や島特産のアシタバの加工も事業に含んでいました。 父で2代目の善仁さん(82)が継ぎますが、1992年に蔵が火災で全焼し、焼酎造りが一時中断。アシタバ加工品の製造販売でしのぎつつ、2年かけて新しい蔵を建て、さっぱりした酒質となる減圧蒸留機を導入しました。飲みやすい麦焼酎が人気を博し、1994年から焼酎製造に専念しました。 長男の小宮山さんは、家業を継ぐことを意識して育ちます。しかし、高校生になるまで、家業はアシタバの加工が中心で、焼酎も一過性のブームと考えていました。 千葉県の大学を卒業後、社会経験を積むため、紳士用のネクタイとマフラーの卸問屋に3年半勤めました。東京の居酒屋でメニューを確認するたび、大手メーカーの焼酎が並ぶ現状を目の当たりにしたそうです。 「父からは、焼酎が売れ出したぞと連絡がありました。展示会の手伝いに行くと、それまでとは比べものにならないほど芋焼酎が人気でした」 2000年ごろからは芋焼酎が注目され、八丈興発もかつて製造していた芋焼酎「情け嶋」を復活させました。 小宮山さんは東京で3年間働いた後、広島県の酒類総合研究所で1年間、焼酎造りの研修を受け、2006年に八丈島へ戻りました。