ハービー・山口の写真人生【前編:壁作らず交流したら幸せになれる】
ハービー・山口さんはロンドンの最もエキサイティングだった時代にデビュー前のボーイ・ジョージとルームシェアをするなど貴重な体験をする中で撮影した、生きたロンドンの写真が高く評価された。帰国後も福山雅治など国内アーティストとコラボしながら市井の人々にカメラを向け続けてきた。コロナ禍になってマスク姿の人々にレンズを向けた「TOKYO EYES」が話題を呼んだ。現在72歳のベテラン。プリント販売や写真展開催など精力的に仕事をクリエイト、ライフワークを持って生き抜く。よき70代を生きているハービーさんに聞いた。
「友達は多いほうがいい」人との間に壁を作らない
「TOKYO EYES」の展示会場を訪れてまず驚いたのは、初対面の来場者とも旧知の間柄のように親しく語り合うハービーさんの姿だった。 「友達は多いほどいいと思います。僕は幼年期から10代後半まで脊髄カリエスという病気を抱え、幼稚園に行けず小学校に入っても体育の授業は出来ない身体でした。友達もそんな僕から引いてしまい遠足でもグループに入れてもらえず、いつもポツンとしていたんです。その反動かもしれません、人と人との壁を作らず交流できたらもっと人間は幸せになれると考えるようになったんです」 緊張ぎみだった来場者もハービーさんに話しかけられると一瞬で和むような不思議な雰囲気がそこにはあった。そういえばハービーさんの写真に写っている人々も表情に優しさがあふれている。 「写真に出会ったのは中学の頃。自分が元気になれるものを探していたんです。小学生の頃に大森駅でブラスバンドの行進を見て魅了されて中学に入るとブラスバンド部でフルートを吹いたのですが、どうも音楽を奏でる才能はないと感じてやめちゃったんです。朝早くからの練習や団体行動に自分の体がついていけなかったのもありますね。その後クラスメイトに誘われ写真部に入りました。写真なら撮りたいときに撮るっていう個人プレーができるじゃないですか。それで、僕は人の優しい顔を一番欲しかった。友達になって欲しい、笑顔で楽しく語り合いたい、そういう夢を撮りたいなって思ったんです」 カメラは父親のキヤノン7やペトリ35を借りて使った。高校に入る前の春休みにはバイトで稼いだお金とお小遣いを足し当時の最高級一眼レフ、ニコンFを買った。 「写真家になる決意があったから買ったんです。その後、大学時代にもう1台買って卒業するとそれを持ってイギリスに行きました」 写真ばかり撮っていたので就活は惨憺たるもの。日本では自分のいる場所はないと追いつめられた思いで大学時代の友達と渡英した。ロンドンに23歳からの約10年間、生活することになる。