「髙田賢三 夢をかける」(東京オペラシティ アートギャラリー)レポート。パリから世界をカラフルな花々で彩った日本人デザイナー没後初の大規模個展(文:Naomi)
タイムラインでたどる、髙田賢三の生涯とターニングポイント
1960年代に20代後半でいち早くパリへ渡り、1970年に自らのブランドを立ち上げて以降、日本人ファッションデザイナーとして第一線で活躍し続けた髙田賢三(1939~2020)。 2020年、突然の病により81歳で惜しまれつつ逝去した彼の、没後初めてとなる個展「髙田賢三 夢をかける」が、東京オペラシティ アートギャラリーで開催されている。会期は7月6日~9月16日。 本展は、パリを拠点にコレクションを発表し続け、独特の色使いや柄の組み合わせから「色彩の魔術師」ともよばれた彼の人生とクリエーションを、壁にぐるりと記されたタイムラインでたどることができる。 また、展示室全体には、数々の貴重な衣装が展示され、幼少期から描いていたという絵画やデザイン画、手がけた映画や舞台に関する資料、そして1990年10月にパリ郊外で行われた伝説的なラストショー「KENZO 30ans(トランタン)」の貴重なダイジェスト映像が上映されるなど、見どころをぎゅっと凝縮したような構成だ。 タイムラインは、髙田が1960年に21歳で受賞した「装苑賞」以前、世に出る前の経歴からスタートする。 兵庫県姫路市に生まれた髙田は、1957年、美大や洋裁学校への進学が叶わず、神戸市外国語大学英米学科へ入学。夜学に通い、昼間は神戸の貿易会社で働き始めたばかりだったが、突然、人生の転機が訪れる。電車の新聞広告で、文化服装学院が男子学生を募集し始めたことを知ったのだ。 夏の間に資金を貯め、大学を中退して上京、住み込みで働きながらデザイン画の腕を磨いて、1958年春に文化服装学院師範課へ入学、翌年にはデザイン科へと進学した。 髙田の恩師となった小池千枝(1916~2014)は、同校で男子学生の募集を決断した人物であり、当時まだ日本であまり知られていなかった、オートクチュールの立体裁断の技術をイヴ・サンローランやカール・ラガーフェルドらとともにパリで学ぶなど、日本のファッション業界の発展に大きく寄与した女性だ。 上京からわずか3年で、現在も新人ファッションデザイナーの登竜門として知られる「装苑賞」を受賞。それから4年で、海外旅行が自由化されたばかりの時代に、単身パリへ渡る。飛躍のチャンスを掴もうという髙田の行動力には、誰もが舌を巻いてしまうだろう。