<パリ五輪>「雄斗には今回も『首洗って待ってます!』ってメールしました」スケボー金メダル・堀米雄斗の恩師が語る少年時代「彼は小さい頃から競技者でありながら表現者だった」
恩師が語る幼少期の堀米雄斗
堀米選手は一体どんな幼少期を送っていたのか? 堀米選手の初の自伝本『いままでとこれから』(KADOKAWA)でも「ストリートに目覚めたきっかけをくれた憧れのプロスケーター」と紹介する、恩師で現在は埼玉県所沢市のスケボーパーク「SKiP FACTORY」のオーナー、立本和樹さん(48歳)は今回の堀米選手の滑りをどう見たか。そして彼をどう見守ってきたかを聞いた。 「雄斗自身もパリ五輪までは地獄のような3年間だって言ってるように、心身ともにきつかったと思います。でも6月の五輪予選のブダペストでは土壇場で『ノーリーバックサイド270トランスファーテールスライド』を完璧に繰り出し、大逆転で出場権を獲得しました。 尋常じゃないほど集中力を高め、アプローチする瞬間の表情は僕がずっと見てきたガキの頃の雄斗と同じ顔でうれしかったし、本当に感動しましたよ」 このトリックを完璧に仕上げることの難しさについても聞いた。 「まずレールの高さが90センチほどあって、そこに跳んで見えない方向に回りながら感覚でレールに引っかけ、かつ板を立ち上げた状態をキープしながら滑って着地しないといけないんです。 タイミングが少しでも狂うとレールに引っかけられないですし、着地にも支障が出ます。とにかく何回も実践して空間を感知する感覚を掴まないといけないし、練習の過程では怪我もします。あの高さと長さで完成させられるのは世界でも今のところ雄斗しかいないし、スケートビデオにも存在しないですからね」 立本さんが堀米選手と出会ったのは、彼がまだ小学4年生の頃のこと。 「僕がまだ『MAP’S TOKYO(後のムラサキパーク東京、昨年5月閉店)』に勤めてたとき、そこのバーチカル(スノボーでいうところのハーフパイプのようにU字のセクションで、高さは約4メートルある)に雄斗が滑りに来ていて。 雄斗はスケボー小僧で他の遊びは興味ないって感じだったんで『ストリート(まさに五輪種目の階段や手すり、縁石を模したコース)の大会に出ない?』って話しかけたんですよ。 でもその予選前の公開練習でけっこうひどい捻挫をしてしまったんです。痛そうだったから散々やめろと言ったのに『出る!』って言い張って。結果は散々で泣きじゃくってました」 だが、その泣きじゃくっていた少年には明確なビジョンがあった。「将来、どうなりたいの?」と聞く立本さんに、はっきりとこう答えたという。 「『アメリカでプロになって自分のパークと家を建てたい』って言ったんですよ。その夢は20代にして叶えたわけですが、まだ小学生の男の子でそこまではっきりした夢を持ってることに、年齢は関係なく自分たちにも通じるものを感じた。 そこからはもう、僕のブランド『TUFLEG』のデモンストレーションやパート撮影で登校に支障が出ない範囲で雄斗を地方に連れ回し、雄斗のお父さんからは『お任せします』と言われるほどの仲になりました。そういう意味では雄斗は小学生の頃には精神的に親離れしていたように思います」
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