ジョン・ケージの《4分33秒》はなぜ名作なのか──音楽の概念を180度変えた「無音の曲」を聴く
《4分33秒》における偶然性とは?
ケージは《4分33秒》を作曲する以前から、音楽や芸術に偶然性を取り入れ、緩く定義されたパラメータの範囲内で意図していないことが起きる作品を指向するようになっていた。その一例が、プリペアド・ピアノのための作品だ。これは予測がつかない音を発するよう手を加えられたピアノで演奏される。 《4分33秒》が演奏される273秒の間、どんな音が聞こえるは誰にも分からない。この曲の本質は、まさにその点にある。既成の秩序を否定するダダイズムの作家、マルセル・デュシャンや禅から影響を受けたケージは、芸術作品は固定された不変のものでなければならないという論理とは正反対の偶然性に惹かれていた。1958年に彼はこう語っている。 「どう演奏されるかを確定しない作品の演奏は、必然的に唯一無二のものになる。同じ演奏を繰り返すことはできず、二度目の演奏は一度目と同じにはならない」 《4分33秒》の楽譜は毎回同じものだが、周囲の自然音が無限のバリエーションを生み出し続ける。この作品は、偶然に左右される人生を反映していると言えるかもしれない。
《4分33秒》は本当に「無音の曲」なのか?
これは人それぞれの捉え方による。楽器奏者は演奏中に全く音を出さないので、その意味では無音だ。とはいえ、演奏される場の周辺がすべて無音というわけではないので、舞台上で音が発生しなかったとしても、多少のノイズは聞こえる。その点をケージはこう説明する。 「この作品は実際には無音ではない(死が訪れるまではけっして無音にはならないし、そのときが訪れることはない)。そこには音があふれているが、聞こえるのは事前に想定し得ない音だ。他の人たちがそれを聞くのと同時に、私自身も初めて聞くことになる」 後に彼はこうも語っている。 「常に音はある……こう説明してみよう。演奏の後、参加者が質問に答えて、その曲のある特定の音が印象に残っていると言うかもしれない。別の参加者は、音なんて覚えていない、他の何かが起きたと答えるかもしれない。しかし2人とも、演奏が行われたということには同意するだろう」