【ABC特集】家を失い避難所に入れなかった住民たちが身を寄せ合って生き抜いた記録 “仲よしテント村”に密着100日 阪神淡路大震災29年
阪神淡路大震災からことしで29年。当時、地震で家を失った人たちが自らテントを建て、避難生活を送った場所がありました。ABCテレビが密着取材していた、神戸市灘区の“仲よしテント村”。100日間にわたる記録が私たちに伝えることとは。
家を失った人たちが身を寄せた「テント村」
1995年1月17日、阪神淡路大震災。最大震度7の地震が都市部を襲い、6434人が亡くなりました。がれきと化した街で、自宅に住めなくなった人たちが、震災直後から身を寄せた場所がありました。 「外では明るくふるまってるけどね・・・」 「晩、寝るときは『明日どうなるだろう』と思ってる」 「枕、涙で濡れてるもんな」 ついた名前は「仲よしテント村」。当時、ABCテレビのカメラが密着取材していました。 (髙橋さん)「みんなに支えられてここまでやってこれたと思います。皆さんに感謝してます」 震災で家を失った人たちがともに支え合い、生き抜いた日々の記録です。
「こんにちは」 神戸市灘区に住む、髙橋敏子さん、84歳。29年前の1月17日、高橋さんは、この場所で地震に遭いました。震災の2年前に夫を亡くし、当時1人暮らしをしていた髙橋さん。日課のラジオ体操に向かっていましたが、トイレを済ませておこうと、いったん自宅に戻った矢先でした。 「家に帰ってきたとき、入ったとたんに地震が起きたから。古い壁が全部落ちて、その柱に食らいついて。そしたら(絵の)額がパーンと目の前を飛んできました。それが当たってたら、もうだめだったと思います」
自宅は全壊 崩れた家から外に出ると…
4世帯が軒を連ねた平屋建ての自宅は全壊。髙橋さんは、崩れた家の隙間から自力で外に出ました。 幸い、けがはありませんでした。あたりにはがれきが散乱し、倒壊した家の下敷きになって亡くなった人が何人もいました。
髙橋さんの自宅の目の前にある駐車場は、震災当時から変わらず、この場所にありました。 「震災当日… その日の晩は、ここに小さい段ボールで囲って。囲いだけで寝ました。何もなかったからね。それで日が経つにして、あそこにテントが立ったんです。そこにトイレがあった」 住まいを失った髙橋さんが身を寄せたのが・・・