被災地の子どもたちに笑顔を 避難所を巡る「ピッコロ劇団」 「殺気立つ」子どもも・・・ 「災害を忘れられる時間を共存したい」
甚大な被害をもたらした阪神淡路大震災。 当時、震災で傷ついた子どもたちに「元気を出してほしい」と被災地の避難所を巡った劇団がありました。 1994年に全国初の県立劇団として誕生した、兵庫県尼崎市を拠点に活動するピッコロ劇団です。
1週間後に公演予定・・・ 劇団員も被災
劇団員の孫高宏さん(54)は、創立以来約30年間、役者として活動しています。 「初めはどういう状況になってるのかわからへんで。結局震災があってその次の日に集合かかったんですけど。全員来られなくて、もちろん」
当時、ピッコロ劇団は震災の1週間後に公演を控えていましたが、被災した劇団員も多く、やむなく延期に。 今後、劇団がどのように活動していくのか、当時劇団員だった辰寿広美さん(54)には迷いがあったといいます。 「こんなときに芝居なんかやってる場合じゃないのになっていう気持ちと、でもこれしかできへんしなっていう思いと半々ぐらいで。みんな葛藤していた」
「子どもたちを喜ばせて」県から公演依頼
そんななか、劇団を運営する兵庫県からある依頼が来ました。 「県からトップダウンで、子どもたちを喜ばせてくださいという依頼が来た。じゃあそれを目指して頑張ろうと」(辰寿さん) ”自分たちにできることは、芝居しかない” 覚悟を決めた劇団員たちは地震発生から約3週間後、尼崎市の難波小学校を訪れました。
披露する劇は、「ももたろう」。 主役を演じたのは辰寿さんで、「悪い赤鬼役」を演じるのが孫さんです。 グラウンドにブルーシートを敷き、観客席を作ると、ぞくぞくと子ども達が集まり、劇が始まります。 「渡る世間は鬼ばかり! この鬼ババが悪い子は食っちゃうぞ!」 「かわいい子ども達を食おうって鬼を、この桃太郎がゆるさねぇ!」
「殺気立っていた」 子どもたちに異変・・・ それでも賢明に演じた
赤鬼を演じていた孫さん。劇を見る子どもの様子に異変を感じていました。 「勝つ自信(じしん)のある人」って言ったら響いちゃうんですよね。それで、『じしん』という言葉を絶対に言ったらあかんなって。NGワードやなみたいなのは、気をつけていました」 「肉親が亡くなっている子とかもいるわけじゃないですか。子どもたちが殺気だっていたときもありました。僕に向かってくるのが、ちょっと怖かったです。」