チャラそうと言われても――人口ゼロになった町に移住し復興の種をまく青年に迫る #知り続ける
福島第一原子力発電所から半径20km圏内の町、福島県南相馬市小高区。原発事故の影響により、小高地区には避難指示が出され、人口1万3000人が暮らしていた町からは人が消えた。避難指示が解除された現在、徐々に住民の帰還が進んでいるものの、居住者は約3800人と震災前に遠く及ばない。 そんな中、「人口がゼロになった町に希望を見出したい」と、小高へ移住し、復興の種まきを進める青年がいる。大川翔さん(23)だ。自らが運営するSNS上では『福島を変革する男』を名乗り、若い世代へ福島の魅力を発信し続けている。地元住民や移住者らとともに、復興支援にひた走る大川さんの姿を追った。(Yahoo!ニュースVoice)
福島に対する根強いネガティブイメージ 復興支援に奔走する父の背中を追いかけて
高校まで福島県郡山市で過ごし、大学進学で上京した大川翔さん。卒業後は都内の企業に就職するも、2021年9月に小高区へ移住した。復興支援へ関心を持ったきっかけは、父親の存在だったという。 「父はもともと大手の運送会社で働いていたのですが、震災後、福島県産の食材の販路拡大のための会社を立ち上げました。風評被害を受けている農家さんや、生産者さんを間近で見ていた父は、自ら東京を中心とした首都圏に福島の物産を売りにいくという強い思いを持ち、全国各地を飛び回り、マルシェ等を開催しています。父の背中を見て、福島の良さを伝えていくことや、自ら行動することがすごく大事だなと感じ、自分自身も福島の魅力を発信したいと思うようになりました」(大川さん)
大川さんが小高への移住を決めた背景には、東京での学生生活の経験も大きく影響したという。 「18年間住んだ郡山市を離れ東京へ行くと、他県出身の友人たちから、『地震は大丈夫だった?』、『原発事故が大変だね』と言われました。自分の地元に対し、外からはネガティブなイメージが根強いことを痛感させられました。また、僕自身、震災で大きな被害があった浜通りエリアや南相馬市、小高区など、気にしてはいたけれど実際に行くこともなく、実態をほとんど知らなかったことにも気づかされました。自分自身がもっと地域に入り込んで、福島のことを知っていきたいと思うようになったんです」(大川さん)