【能登半島】震災・豪雨で被災「義務感の支援でなく、楽しんで”また来たい”と思ってほしい」。移住の20代男性が、いまホテル・喫茶バーをオープンする理由 珠洲市
震災の影響で、ホテルのオープン準備は一時ストップ。畠山さんは、支援活動と能登を盛り上げるための企画団体「惚惚倶楽部 (hb club)」を立ち上げ、復興への資金集めをしながら、自身も支援活動に尽力した。 「4月中旬ぐらいまではずっと支援活動をしていましたね。自宅や集会所など、最低限生活できる拠点の整備を行い、ボランティアの受け入れ場所として運営したり、二次避難の人を車に乗せて金沢へ送り届けたり。金沢で物資を買い集めてまた片道7~8時間かけて帰って。自分の時間も体力も、お金も、全てを注ぎ込んでいました」
お弁当を配布してまわる畠山さん。
畠山さんは北海道出身。珠洲市に移住した身だ。大地震を経験して、実家や他の地域へ避難する選択肢もあったはずだが、能登に留まって支援活動に没頭した理由、その原動力はなんだったのか。畠山さんからは、こんな言葉が返ってきた。 「当事者でいたいなと、強く思ったんです。被災者として、この地域に住まう人として。支援活動をするなかで、同じ石川県内でも金沢と能登では、被害状況も日常のあり方にも乖離があって、それを目の当たりにした時に、自分は当事者でいたいなと。正直、一時的に金沢に身を移すことも考えたし、こんな状況では事業なんてできないと諦めそうになったこともありましたけど。 僕が惚れた能登の自然や風土、地域の人たちが守ってきた文化、ここでの生き方を想うと、この地を離れるという選択肢はなくて。一生関わっていきたいから、自分が納得するまで、この地で支援活動はやると決めました」 生活の再建を進めるとともに、ホテルの工事も再開し、2024年6月にプレオープン。翌7月に開業を迎えた。この場所から、能登に関わる人の輪がひろがっていくように。「能登=被災地・かわいそう」というイメージではなく、能登で暮らし、活動している人たちの活力が、地域の外へも波紋のようにひろがっていくように。そんな意味・願いを込めて、「notonowa」と名付けた。