1985年にはバース氏と掛布氏の伝説アベック弾記録…阪神が広島連勝決めたOS砲の本塁打競演はVへの切り札となるのか?
阪神には伝説のアベックアーチがある。1985年に3番のランディ・バース氏と4番の掛布雅之氏が、16度実現したアベックアーチは、NPBのシーズンアベックアーチの最多記録。 この年、バース氏は3冠王を獲得して54本塁打、134打点、掛布氏は40本塁打、108打点で2人だけで94本塁打、242打点をマークしてチームを日本一へ導いた。 アベックアーチのシーズン記録の2位は2008年巨人の小笠原道大(現日ハムコーチ)とラミレス氏(前横浜DeNA監督)、2001年の西武のアレックス・カブレラ氏とスコット・マクレーン氏の15回だ。小笠原氏とラミレス氏の“オガラミ砲“が揃い踏みした15試合は全勝で、巨人はこの年に2連覇を達成した。 2001年の西武はリーグ3位に終わっているが、優勝したのが近鉄だった。”いてまえ打線“と呼ばれた猛打でのV。打線を引っ張ったのが中村紀洋氏とタフィ・ローズ氏で、中村氏が46本、ローズ氏が55本を放っている。この合計101本は、シーズン2選手のアーチ合計記録の最多となっている。アベックアーチが得点力に直結して、チームを優勝へ導く原動力になることは間違いない。 ただアベックアーチは「2人の強打者が打順で並んでいてこそ相乗効果が生まれる」と主張する球界OBの声がある。 「バースと掛布が並んだ1985年は、バースの四球数が非常に少なかった。掛布が後ろに控えているため、バースと勝負せざるを得なくなったのだ。アベックアーチが増えるのは、相手バッテリーがクリーンナップのひとりひとりと勝負するのではなく、前と後ろが気になり2人とまとめて勝負しなければならなくなって心理的に圧迫されることでミスが生まれるからだ。大山と佐藤のアベック砲に本当の相乗効果が生まれるのは、佐藤に安定感が出始めて6番から5番に打順が上がったときだろう」 ちなみに1985年の四球数はバース氏が67個で、掛布氏が94個。この掛布氏の四球数が、その年のセ・リーグ最多である。確かに真の相乗効果が生まれるのは大山と佐藤の打順が並んだときなのかもしれないが、虎のOS砲のアベックアーチは新たなる不敗伝説として最高のスタートを切った。