ネット中傷被害問題を考える リアル権力がサイバー空間の「個室の群衆」を取り締まる意味
サイバー空間とリアルの権力
今回は、被害者に対する匿名の書き込みにリアルの捜査が及んだということで、サイバーの世界に隠れていたつもりの人間をリアルの世界に引きずり出したような印象である。 前にも述べたことだが、匿名の大衆が力をもつ社会では、サイバーの世界でもリアルの世界でも、個人特定力が重要になる。中国では、監視カメラと顔認証によって、権力が強い個人特定力をもっている。もちろん国民の多くは抵抗を感じているだろうが、それが犯罪防止につながり、安全な生活が送れるという利点の大きさから受け入れているようだ。 新型コロナウイルスは、日本社会のデジタル管理体制がきわめて遅れていることを露呈した。しかしそればかりではなく、水際は不手際、検査は進まず、ロックダウンはせず(できず)、給付金は間に合わず、マイナンバーは役立たず、ワクチン接種は遅れると、権力が体をなしていないことも露呈した。戦後この国では、戦前の反省から一元的な国家権力が強くなることに抵抗があったからか、あるいは政治家と官僚の独善と怠慢からか、省庁と自治体バラバラの不合理で複雑な管理システムが根を張ってしまったのではないか。前例踏襲のお役所仕事でイザというときの機動力がないのだ。 ネット上の発信に対する規制は、世界的傾向でもあるようだ。われわれはリアルの世界とサイバーの世界、双方に生きている。しばらくはサイバー空間が野放図に拡大したが、リアルの権力が態勢を整えて、サイバー空間を監視し取り締まろうとしている。サイバー空間はリアル化し、リアル権力はサイバー化する。そしてAIが、権力の大きな部分を形成するだろう。そういった中で、国家はいかに自由と安全を両立させるか、われわれはいかに本来の人間性を維持するかが課題となる。 直接相手に届く言葉、マスメディアの中の言葉、ネット社会における匿名の言葉、それぞれに社会的意味が異なるが、いずれにしろ言葉はナイフだ。とても役に立つが人を傷つけもする。鋭くなくてはならないが、やたらに振りまわしてはいけない。自戒。