田舎が嫌いだった少女が今は“自然の中で暮らす”JAZZシンガーに 田舎だからこそできる音楽を
「余呉でなければ生み出せない音楽があると思っています」 力強く語るのは、滋賀県長浜市余呉町在住のJAZZシンガー、木原鮎子さん。プロのJAZZシンガーとして活躍するかたわら、地元の子どもたちやママさんたちにも歌の指導をしています。 【写真7枚】画像提供:木原さん 都会で音楽を学んだり表現したりすることは比較的簡単に感じる一方、田舎での音楽活動は難易度が高いと思われてきました。しかし、木原さんは田舎でもさまざまな音楽活動ができるといいます。 余呉町は滋賀県の北端に位置する、田園風景の広がる自然豊かな地域です。近年は急激に過疎化が進み、余呉町内では統廃合した学校や閉鎖する公共施設も増えてきました。音楽活動に限らず、日常生活でさえ不便さを感じる状況です。 木原さんは縁もゆかりも無い余呉町に移住し、地域に根付いた音楽活動にこだわり続けています。今回はJAZZシンガーの木原さんに、移住のきっかけや田舎を拠点に音楽活動に取り組む様子などを詳しく伺いました。
田舎がイヤで実家を飛び出した十代
「生まれは千葉県なのですが、父が田舎で暮らしたいと言うので、小学2年生のときに新潟の田舎町に引っ越しました。私は田舎での生活が本当にイヤでイヤで仕方がなくて。だから、中学卒業と同時に母親の実家があった岩手の高校に進学しました」 多感な時期を田舎で暮らしていた木原さんは、どうにかして都会で生活がしたいとの思いが拭えなかったと言います。元々歌が好きだったこともあり、高校では音楽に深くのめり込んだとのこと。高校を卒業後はさらに音楽に取り組むため、姉の居る京都に住んで大阪の学校に通ったそう。 「『音楽を学ぶならアメリカだ』と。アメリカに行く前に語学を学ぼうと、大阪の語学学校に入学したのですが、結局は留学した方が早いですよね。だから、19歳で思い切ってポートランド州立大学に留学しました」 しかし、アメリカで語学と音楽を必死に学んでいた木原さんは、政治的な理由から帰国しなければならなくなります。