フェラーリのカリスマ、ルカ・ディ・モンテゼーモロが成し遂げたこと 【第8回】フェラーリのブランディング戦略
F40の教訓
text:Shinichi Ekko(越湖信一) photo: Ferrari S.p.A. 1987年に発表されたF40は、フェラーリのロードカービジネスにおける大きなターニングポイントとなった。フェラーリのロードカーとは、レースの世界で活躍したマシンを自分の手元に置いて楽しみたい、という限られた顧客にいわば「言い値」で販売する高付加価値ビジネスであった。 F40はレースカー譲りのハイパフォーマンスカーであることはもちろんであるが、ボディパネルはF1マシンに使われている軽量コンポジット材を用い、スパルタンなインテリアを敢えて演出するなど、非日常性を備えたロードカーに仕立てられていた。 もちろん、モンテゼーモロもフィアットの重鎮として、このF40の開発やマーケティングに深く関与していたことは言うまでもない。折りしも1988年に鬼籍に入ったエンツォ・フェラーリの置き土産、そう、彼の関わった最後の1台というとっておきのセールストークが謳われたから、F40は世界中のフェラーリファンから引っ張りだことなった。 このようなフェラーリのイメージリーダーとして仕立てた高付加価値モデルを「スペチアーレ」と称し、限られた顧客のために作られた高額な数量限定モデルがフェラーリ史の節目となる時期に次々と誕生することとなった。 当初、300台の限定モデルとして計画されたF40であったが、世界的な景気上昇や日本のバブル景気などもあり、オーダーがどんどん増え増産を決断する。最終的にはなんと1300台を越す、それまでの量産モデル以上の台数がデリバリーされたのだ。 すると、中古車市場には転売益を求めたオーナーが手放したF40がゴロゴロと現れることに。特別な人だけが買うことのできるフェラーリの中でも、特に希少な存在であるスペチアーレの意義が、薄れてしまうという予想しなかった事態が起こってしまった。販売に関する根本的戦略が明確でなかったのだ。