空間そのものを象った彫刻家のアトリエ兼住居『朝倉彫塑館』。
公立ミュージアムに、私設ミュージアム、記念館に資料館、収蔵品を持つギャラリーなどを巡ってゆくこの企画。様々な文化が掘り起こされる今だけど、歩いて得た情報に勝るものはない。だからこそこの記事を読んだ人もぜひあなたの「東京博物館散策」へ。
東京駅や上野駅などの駅前に、東京国際フォーラムや目黒区民センターといった公共施設でも何かとよく見かける「偉人の銅像」。それらは待ち合わせ時間なんかにその街の歴史に興味を抱かせる貴重なモニュメントである。ただ、銅像の人物に興味を抱くことはあっても、それを作った作家が気になるなんて人は少ないかもしれない。日暮里に、東京23区内で佇立するこのような銅像を数多く手がけた“偉人”が暮らした場所があることを知った。 東京博物館散策 Vol.1
日暮里駅から千駄木駅方面へ、谷中霊園をぐるりと囲む住宅街の中でひときわ巨大な建物がその『朝倉彫塑館』だ。ここは彫刻家として日本初の文化勲章を受章し、明治から昭和にかけて日本近代塑造の礎を築いた朝倉文夫氏のアトリエ兼住居。 東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)で彫刻を学んだ朝倉氏は、24歳でこの地へ居を移した。はじめは100坪ほどの借地に住居とアトリエを建設。土地を買い足しながら増改築を繰り返し、1935年に現在の建物が完成。没後、遺族により一般公開され、1986年以降は台東区が運営している。
「彫塑」とは、彫り込んでいく彫刻と、粘土や蝋のような柔らかい素材を形作る塑造を合わせた技法のことを指す。今は広く彫刻と呼ぶことが一般的だが、朝倉氏はその言葉にこだわりをもって制作してきた。アトリエには、代表作である「墓守」をはじめ、高さ3.78mの「小村寿太郎像」、愛してやまなかった猫や犬の作品など、しなやかで、今にも動き出しそうな彫刻品がズラリと展示。自然主義的な写実描写に徹する作風、そしてその作品の何と美しいことか。
「『1日粘土を握らざれば1日の退歩』とよく言っていたそうです」と学芸員の戸張泰子さんが教えてくれた。「とにかく手を動かし続けた方で、学生時代だけでもその数は1200とも。そして、それらを作るうえで大事にしていたものが自然の美。例えば熟考して作った中庭の『五典の池』は朝倉哲学そのものです。先生は、日々さまざまな表情を見せる水をこよなく愛し、精神を浄化させていたと聞きます」。