考察『光る君へ』28話「いつも、いつも」と笑い合うのは、道隆(井浦新)在りし日々、華やかな思い出…清少納言は『枕草子』で定子の尊厳を守った
笛は聴くもの
赤染衛門先生(鳳稀かなめ)が彰子の女房になっている。衛門先生の女房装束、かっけえ! と思わず声が出た。クールで強そうで、よくお似合い……。 年ふればよはひは老ひぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし (年月を経て私は老いた。しかし、この花……后である我が娘を見ると、何も心配事がないのだと思える) 衛門先生の解説通り、この歌は彰子の先祖である摂政・藤原良房の歌だ。 先生は「彰子様もお父君を安心させるような后におなりください」という意味で講義していたと思われる。そこに帝のお渡り……。一条帝が彰子に笛を聴かせる。 「こちらを向いて聴いておくれ」 「笛は聴くもので、見るものではございませぬ」 これは『栄花物語』にあるエピソードだ。15話で、笛を吹く帝とまなざしを合わせてうっとりと聞き惚れる定子の様子は、この彰子とは対照的……そんな伏線でもあったのだ。 それにしても、この場面の衛門先生の表情がとてもいい。彰子の言動にハラハラしている様子はちょっとコミカルでもあり、鳳稀かなめの芝居が大河ドラマでこう活きるとは予想していなかった。
行成の感激
まるで自我が感じられない、操り人形のような彰子に我が身を重ねる一条帝。 「少し可哀そうになった」「彰子を形の上で后にしてやってもよいのやも」 そうきたか……! 帝がそれで心が動かされる展開だとは。 蔵人頭・行成(渡辺大知)に道長が感謝する言葉は行成の日記『権記』に記されている。今回の28話は『権記』を読んだことがある人ならば「あのシーンだ!」と嬉しくなる場面満載だった。 「そなたの立身は勿論この俺が。そなたの子らの立身は俺の子らが請け負う」 行成が感激した瞬間、バァン!と道長が倒れる。少年時代から秘かに思っていた相手、そして自分の立身出世を約束してくれた最高権力者に言ったそばから倒れられては、行成としては二重三重の意味で驚いただろう。
まひろの子守歌
まひろが姫に、子守歌がわりの漢詩「蒙求」(もうぎゅう)を暗唱する。 「王戎簡要 裴楷清通……(おうじゅうかんよう はいかいせいとう)」 (王戎は物事の要点をつかみ、裴楷は物事によく通じた) 第1話で父・為時(岸谷五朗)が幼い惟規に聴かせていたのと同じ、つまりまひろが子どもの頃に傍で耳にして覚えたものだ。中国の偉人の有名な逸話を四字一句、偉人ふたりを対にして覚えやすくしてある。中国で唐の時代に子どもの教科書として編纂された書だ。平安時代に日本に伝わり、学問の初歩の初歩として学ばれた。 裴楷清通のあとに『三国志』で有名な諸葛亮孔明を表す、 「孔明臥龍(こうめいがりょう)」 (孔明は臥せる龍の如き人物であった) ……と続き、幾人もの名前と逸話が並べられ、中には、 「孫康映雪 車胤聚蛍(そんこうえいせつ しゃいんしゅうけい)」 (孫康は雪明かりを、車胤は蛍を集めて明かりとし学問に励んだ) この句もある。そう、蛍の光、窓の雪──「蛍雪の功」だ。まるで呪文のような漢詩も、それに親しんだ人々によって、今を生きる私たちと繋がっている。 「まだ早い」「姫様でございますが」と、いとと乳母・あさは呆れるが、まひろは教育熱心というよりも自分が面白い、楽しいと思ったものを我が子に与えているのだ。