池井戸潤、小説はエンターテインメント「不正や理不尽さ訴えるつもりはない」
小説はあくまでもエンターテインメント 不正や理不尽さ訴える意図はない
池井戸氏が都市銀行の行員だったことは知られているが、筆者もその少し前に別の都市銀行で働いていた経験がある。そして、巨大な組織ならではの理不尽さを感じた面もあった。バブル期の後半に行員として過ごした池井戸氏も、あの時代に巨大組織である銀行にいて、何らかの企業的な問題意識を感じ、それが創作の原動力の一つとなっているのではないか。そんな先入観を持っていたのだが、池井戸氏に聞くとあえなく否定された。 「そこまでじゃないですね。ちょうどあの頃、コンプライアンスという言葉が出始めたんです。社会的な不正だとか理不尽さを訴えるつもりで書いているわけではなくて。この小説とか、映画そのものは完璧なエンターテインメントとして成立していなければならないし、実際にそうなっていると思います」
作家デビュー後、金融界や経済界を舞台にした小説を多く書いたこともあり、元銀行員が明かす内幕ものといったイメージで捉えられ、当初は書店でも企業小説のコーナーに置かれることもあった。しかし、池井戸氏が一貫して目指してきたのは、あくまでエンターテインメントということだ。 「基本的に、小さなころからエンタメ志向の人間で、そういう本ばかり読んでいましたから。エンターテインメントは、見終わってから『面白かった』『すっきりする』と言ってもらわなきゃいけない。そうすると、小さなものが大きなものに闘いを挑む、弱いものが闘いを挑んで勝つ、構造上そうならざるを得ないんです。力のない弱者が負けて終わりではエンターテインメントになりませんから」
「発想力」は生まれつき、後から磨けるものでも、成長するものでもない
次から次へとヒット作を生み出す池井戸氏だが、インプットはどのようにしているのだろう。 「別に、いつでもインプットしています。インプットよりも発想のほうが大事ですよね。書くための基本的な知識とか経験とかはもうあるわけなんで、何をどう書くかということを考えることが大事だと思います。それがたぶん、創作の7割とか8割を占めるんじゃないかな」 では、その発想力はどのように磨いているのか。質問してみると、「発想力は磨けないですね」と、きっぱりした答えが返ってきた。 「発想力は、それぞれの人が持って生まれたもので、それぞれの人にあるだろうし、それぞれに違うと思います。自分だって、もうこれ以上ない、成長するものでもないので、自分が思いつく範囲でやらなくてはならないですね」